黒沢清監督は遅れてきた巨匠だ。83年ロマン・ポルノの末期にデビューした彼は97年 末の「CURE キュア」のヒットにより一躍注目されるようになった。正確には伊 丹十三プロデュースで撮った「スウィートホーム」(88)が彼の転機になるはずだっ た。が、ビデオ化の際に監督・脚本に対する報酬を伊丹プロが黒沢氏に支払わなかっ たため訴訟が始まり、それは97年末に伊丹氏が亡くなるまで続いた。その呪縛から逃 れた途端の「CURE」のヒットである。(偶然ではないと思うのは私だけ?)さ て、私は一昨年、監督に仕事で少しだけお会いしたことがある。映画についての様々 な話を伺ったのだが、その中で一番印象的で、監督の志向を表していると思ったのは 「意味はない」という一言だった。「あのシーンはどういう意味ですか」と尋ねた人 への監督の答えである。「取材で問われれば何か理由づけするけれど、本当は意味な んかないんです。」と言った後、「意味ばっかり考えてる映画って面白くないでしょ う」とおっしゃった。言われてみれば、黒沢作品の登場人物の不可解な行動に意味な どないかもしれない。だが、その姿が最も人間というものを表しているような気がす るのだ。無意識の時間がほとんどを占めているのが人間…そんな視点は他の映画には なく、本当に新鮮に映る。ただ、人物が何を考えているかわからないから観ていて異 様に怖い映画でもある。今回上映の「ニンゲン合格」は彼のフィルモグラフィーの中 で異彩を放つ傑作だ。他の作品はたいてい「死」や「恐怖」を扱っているのだが、この 作品は主に「家族」をテーマにしているから。この映画の家族観は観る人によっては 冷たいと感じられるかもしれない。でも、人はひとりで生まれ、ひとりで死んでい く。この映画を観ていて、そんなことがふと頭をよぎり私は涙がとまらなくなってし まった。監督の死生観に強い共感を覚えたせいだと思う。ただ、黒沢監督は「意味は ないよ」というかもしれないけれど。