登山開始 | 接待館跡に登る石段 |
病院跡、初代の住友別子病院跡? | ダイヤモンド水 |
東延坑 | これも病院跡 |
平家平方面? | みつばつつじが盛を迎えていた。 |
蘭塔場跡 | 銅山越への道 |
銅山越 | 銅山越から新居浜市街を望む |
西赤石山と兜岩、あけぼのつつじが4分咲きといったところ | 銅山峰 |
つがざくら | 第一通洞跡(銅山峰ヒュッテ側) |
銅山峰ヒュッテ | 東平の第3通洞跡 |
東洋のマチュピチと言われている貯鉱庫跡を裏から | 病院跡 |
社宅跡 | 貯鉱庫跡〜正面から |
貯鉱庫跡〜側面から | 銅山越・西赤石を東平から振り返る |
旧別子山村日浦地区にある登山口駐車場、トイレあり。 | 登山口 |
最初の遺跡、円通寺跡 | 別子銅山専用の墓所。現在寺の機能は他に遷されているが、毎年8月供養は続けられている。 |
岩盤を削った登山道。 | 所々、川を渡る。 |
小足谷集落跡と醸造所跡の石積 | 小足谷集落は3つに分かれていてこの辺りは商人の住む集落だった。 |
醸造所に上がる石積の階段。 | 醸造所の名残を示す煙突 |
接待館跡・傭人住宅跡に残るレンガの壁。 | 明治期になると各界の要人が頻繁に来山するようになり、接待館が建てられた。 傭人とは鉱山課長などの要職の人の意。 |
小学校跡 | 明治5年の学制発布に伴い、目出度町に小学校が出来、明治19年にはここ小足谷にも尋常小学校が出来た。 最盛期には生徒数298人、教師7人。 |
土木課と山林課の跡地。 | 土木課の建物では毎年5月山林祭には劇場として利用された。 |
登山道は川筋に沿ってしばらく続き、何箇所か徒渉箇所がある。 | 清流 |
高橋精錬所跡 | 左の高い石垣が精錬所跡の石積み、上流300mまで続く。対岸には様式溶鉱炉と沈殿工場があった。 |
ダイヤモンド水。 | 掘削の際、水脈に当たり多量の水が噴出した。 掘削のロッドも故障して掘削を取りやめロッドの先のダイヤモンドも地底に残った。 そこで誰ということもなくダイヤモンド水というようになった。 |
トラス橋の焼鉱窯、積まれている溶岩のようなものは精錬跡の酸化鉄 | この辺りには無数の焼窯が立ち並んでいた。 |
新緑の登山道 | 日出度町と木方の分岐点、ここは日出度町方面へ進む |
大山積神社跡 | ここには別子山村役場もあった。 |
蘭塔婆経由銅山越行きの道標 | ここを左に登ると蘭塔婆、すぐ行き着くので寄り道。まっすぐ行くと銅山越への登山道。 |
蘭塔婆 | 蘭塔婆へ向かう登山道からの眺望、平家平?方面 |
歓喜坑入口 | 本舗とは主たる生産坑のこと、ここで初めて坑口が開かれた。 |
歓喜坑口 | 歓東坑口 |
銅山越へ向かう最後の急峻な登り | 笹ケ峰へ向かう分岐 |
銅山越に到着 | 開坑後、1702年になって別子の粗鉱がここを越えて新居浜の大江まで運搬が可能になった。 |
銅山峰1294m | 西山(奥)と銅山峰(手前)、見晴らしのきかない西山には登らず。 |
下山はこの牛車道を下る。 | 牛車道から見おろした蘭塔婆 |
下山は目出町を通らず木方経由で | 木方吹所(昔の溶鉱炉)跡と思われる。この谷を下れば遺跡があるのだろうが、、、。 |
東延へ続く疎水 | 目出度町と木方の分岐まで降りてきた。 |
つがざくら | |||
つがざくら | アカモノ | ギンラン |