大山(弥山)1709m 


 
(阿弥陀堂)
 大山寺に現存する寺院の中では最古の建築物。
 平安初期に創建、藤原期に建立され、亨禄2年(1529年)に山津波で倒壊。その後天文21年(1552年)、現在の場所に再建されたといわれる室町末期の建造物です。
 大山寺から石畳の参道をあがったところに大神山神社奥宮(※本社より中にある神社)があり、社殿は全国最大級の壮大な権現造り。もともとは僧が修験のために大山に登り、その道場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まりとされていますが、創建・開創は出雲風土記、延喜式などに記載あるものの不明とされています。

阿弥陀堂彩色が落ち、技巧も少なくシンプルなお堂。
参道杉の巨木、時代を感じさせる。


(大神山神社奥宮)
 神仏習合の中で大山寺と大神山神社奥宮は勢力を拡大し、寺院僧坊が多数存在し、寺側の勢いが大きいものの祭事はすべて神職により執り行われてきました。明治初等の神仏分離令により大智明大権現の社殿を大山寺から分離し現在の大神山神社奥宮に至ります。これらの歴史を背景として大神山神社奥宮には三つの「日本一」があります。
 1つ目は、大神山神社に続く道を自然石を敷きつめた参道の長さが約700mで我が国最長であること。
 2つ目は、社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りであること。
 3つ目は、奥の宮幣殿にある白檀の漆塗りが日本一規模が大きくて美しいこと。ほか西日本最大級の神輿もあります。

登山道を降りたところ。大神山神社奥宮本殿。
本殿から見下ろした参道。裏手のる下山神社。
下山神社正面。ちょっと愛嬌のある狛犬。
本殿を参道から見上げた。大神山神社の狛犬、下山神社のそれと比べて大きく怖い。
逆開き門。アップ
日本一長い石畳の参道。金門・賽の河原へ向かう分岐。


(賽の河原・金門・大山寺)
〜霊魂を浄化する「賽の河原」〜
 金門の南側にあるのが「賽の河原」である。北壁からくずれた石が、無数に堆積して広がっている。中ほどには浅瀬の川が流れ、両岸に小石が積まれている。仏教では、親より早く亡くなった幼子が親不幸をした罪によって、賽の河原で石積みをしなければならないとされている。

〜大山北壁を臨む「金門」〜
 見た目にも、強烈なパワーを感じるのは「金門」。大山寺本堂の横手を上がると、一面に視界が広がる。ここは、南光河原と呼ばれる場所。その上流にあり、切り立った岩壁が迫っているところが「金門」と呼ばれている。両側には絶壁がそそり立ち、頭上からは岩盤が迫りくるかのようだ。その合間から眺める大山北壁は、堂々と鎮座し、まさに「神」のように見える。厳粛で静かなパワーをたたえて、そこに偉大なる自然という神が在すのである。

〜大山寺〜
 山岳信仰に帰依する修験道の修行道場として栄えた大山寺。
平安時代以降、山岳信仰の仏教化が進むにつれて寺院が増え、最盛期には100を超える寺院と3000人以上の僧兵をかかえるほど。一大勢力として、比叡山、吉野山、高野山に劣らないほどの隆盛を極めていました。
 しかし、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈をきっかけに衰退の一途をたどり、数多くあった寺も現在は4つの参拝堂と10の支院を残すのみ。本堂は天台宗の古刹で、昭和3年に一度焼失、同26年に再建されています。

賽の河原。金門
大山寺、参拝料が300円。大山寺参道。


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