芝不器男




 芝不器男とは、大正末期昭和初期、俳壇に彗星の如く現れ、子規以来の伝統俳句の良さを高度に発揮した愛媛県 出身の俳人である。「不器男」は、論語の「子曰、君子不器」から命名。本名である。 26才の短い人生であった。
 のペンネーム不器男は「不器男」をそのまま拝借している。母方の親戚になるので、まっいいかの軽い気持ちで使わせてもらっています。  
写真
旧制松山高校時代の不器男
大正14年頃の不器男22歳
病床の不器男(福岡市仮寓)



略歴
明治36年
 4月18日、愛媛県北宇和郡明治村(現松野町)松丸で、父来三郎、母キチの
 5男として生まれる。

大正9年
 宇和島中学4年終了、松山高等学校甲類に入学。

大正11年
 松高「三光寮」に入寮。学友6人と共に日本アルプスを踏破。
 「虚子句集」を愛読、アララギ会員になる。

大正12年
 東京帝国大学農学部林学科に入学。夏休帰省中関東大震災起こる。以後、
 上京せず。姉、蘭香女のすすめで句作を始める。

大正14年
 東京帝大を中退、東北大学工学部機械工学科に入学。
 「天の川」「ホトトギス」を読む。「天の川」に投句する。不狂と号して
 いたが、吉岡禅寺洞に勧められ、本名不器男に改号する。

大正15年
 この頃、俳句に万葉調を取り入れる。またこの頃より「ホトトギス」にも
 投稿を始める。入選句「あなたなる夜雨のの葛のあなたかな」が、虚子の
 名鑑賞を受け注目を浴びる。
 12月松丸に帰省。以後仙台に行かず、家郷で句会を催す。

昭和3年
 「天の川」に「内田慕情論」発表。
 太宰文江と結婚。太宰孫九の養嗣子となる。
 水原秋桜子、「ホトトギス」で「新進作家論」に不器男をとりあげる。
昭和4年
 発病。九州帝国大学附属病院後藤外科に入院。

昭和5年
 1月死の近きを知る
 2月24日午前2時15分死去


私の好きな句

 私の好きな不器男の俳句を紹介します。私も母の本棚から句集をとりだしたばかりなのでとりあえずの選句です。

          
風たちて星消え失せし枯木かな 初冬や木木に散りゆく斧の音 常闇の空を照らせる冬田かな 泳ぎめの葛隠るまではぢらひぬ あなたなる夜雨の葛のあなたかな

俳句リンク
  1. 増殖する俳句歳時記
  2. 俳句庵
  3. 子規インターネット俳句サロン
  4. 俳句・ヴィヨン

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