馴染みのない市駅

写真1
 写真1は、1961年の市駅の様子。戦前の駅舎(1919年完成)は、1945年7月26日の米国軍の空襲により、焼失した。焼失後は仮設駅舎が建ったが、1950年5月10日に写真1の木造2階建ての駅舎が完成した。小学生の頃に見た駅舎はこれだと思うのだが、小学生にとって市駅は全くの異境の地であり、近くに刑務所や手前の中の川にはいかがわしい飲み屋が立ち並んでいて特別な理由のない限り、交通の要衝でありながら行った事がなく、市駅は馴染みがほとんどなかった。今はなき森松線を利用して「椿さん」に行く際も立花駅から乗車したように思う。写真の駅舎の中にはこの頃既にスーパーマーケットみたいなのがあったように思う。
写真2
 写真2は、1969年の写真。この年に駅舎の東隣にバスターミナルが完成した。このバスターミナルは、PSコンクリート屋根で、構内には柱が無いのが特徴であった。1階部分には商店もいくつかあったように思う。バス停がターミナル一か所に集中しており乗客には便利だった。
写真3
 写真3は、1971年に開店した「いよてつそごう」。1969年に「伊予鉄百貨店」としてとしてオープンしていたが、提携先として伊予鉄が選んだのが大手百貨店のそごうだった。この頃もバスターミナルビルは百貨店横に存在していたと思う。その後2001年に現在の建物に増床オープンした際、バスターミナルビルは消えてしまった。そして各路線バスのバス停は、市駅前周辺に点在することになった。公共の用地に私企業のバス停を密集させている風景はちょと異様な感じがする。そごうグループの破たんにより現在の店名は「いよてつ島屋」となっている。

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