車道と主婦の店の大街道

写真1
 写真1は昭和46年頃の大街道の風景。南から北側(一番町方向)を写したものだと思われる。位置は大街街でもみずいぶん一番町よりだと思われる。城山の森が近くに見えるので。今は全面アーケードになっているが、当時は真ん中に車道があり、かつてはバスも走っていた。両側の歩道は自転車などが駐輪していて人がやっとすれ違うことが出来る程度の幅しかなかったように思う。
 昭和53年まで三番町(子供の頃は南八坂町という町名)に住んでいたので、千舟町側の大街道までは歩いてもすぐで、大街道の手前の夷子町は同じ八坂校区で友人も多く、大街道まではよく遊びに行っていた。
 家から西にまっすぐ行った突き当りが大街道で、そこに主婦の店(のちのスーパーマーケットの原型)があり、母親と一緒にあるいは母親に頼まれて買い物に行った記憶がある。夕餉のおかずにクジラの竜田揚げをよく買ってもらったのを憶えている。
 主婦の店の隣には、中学校から同級生になった家がやっていた金物店があり、大街道の一筋手前の路地、前述の夷子町にはロバのパンの店(色んなパンを入れたショーケースをロバが引っ張り市内を音楽をかけながら売っていた。)や仏具店や乾物屋もあったが、怪しげなカタカナの名前の付いた飲み屋(Bar)が立ち並んでいた。
 その乾物屋さん、水商売の店で出すするめやあられ等の付きだしの卸販売をやっていた店でタバコの小売もやっていて、親友の家だった。後年、いつだったろう自宅兼店舗が火事になりお父さんが亡くなった。親友も結婚後まもなく、喫煙者じゃないのに肺がんになり亡くなった。悲しい思い出の通りだ。
写真2
 写真2は、昭和35年頃の大街道の一番町側入り口の風景。子供の頃遊んだ主婦の店があった場所周辺の写真は探したが見つける事が出来なかった。


写真3
 写真3は昭和51年頃の大街道の様子。やはり一番町側から撮影したもの。私が大学生の頃の大街道なので、鮮明に記憶している。この数年後昭和57年には全面アーケード化された。全面アーケードされてとても広くきれいになったが、それまでの賑わいがが逆に失せていったようにも思える。ごったがえしてにぎわっていた商店街がどこか閑散としてきたようにも思える。日本も高度成長期が終焉し、時代はオイルショックを経て平成3年のバブル崩壊を迎える事になる。

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