閑散とした思い出の「いずみ」と「科学教材」

写真1
 写真1は、一番町側大街道側入り口東に建っていた「いずみ」。昭和43年にオープンした。その当時の写真と思われる。私が中学生の頃だ。松山での大型スーパーマーケットの先駆けだったように思う。その後千舟町にダイエーがオープンしたのではないかと記憶している。「いずみ」がオープンした頃は店はとても賑わっていたと思うのだが、私には店内の閑散とした思い出しかない。
 上層階に金物などを売っているフロアがあり、高校生の頃だと思うがあてもなくぶらついた事があり、なにかシーンとした映像の記憶がある。
写真2
 その後昭和58年に「ラフォーレ原宿・松山」が開業し(写真2)、ファッションビルとして生まれ変わり、タワーレコードなども入店し、若者文化の拠点となった時期もあったが、建物の耐震問題を理由に平成20年に閉店となった。その後平成25年から解体工事が始まり、現在は、都市型ホテルに生まれ変わっている。



写真3
 ところで、この「いずみ」のビルが建設される前この敷地に「科学教材」というプラモデルの店があったと記憶しているのだがどうだろう。ビルが建設された際、一本南の裏路地に新しい店を構えて移転したと思う。その移転した方の店での記憶の方が鮮明で、「いずみ」ビルの場所にあったとの自信はあまりないのだが。
 小学生の頃、当時の子供には模型=プラモ作りがブームで、「科学教材」や市駅近くの中の川に面した「富士教材」に毎日のように通った記憶がある。足繁く通った頃の「科学教材」の場所はどこにあったのだろう?裏路地に移転?した科学教材建物も立派で、プラモの箱がうず高く積まれていて羨望のまなざしで見上げていた。またガラスケースには店主が作成したと思われる色づけされた完成品が置かれたり吊るされて展示されていて、どんな子供がこんな高価な模型を買うのだろうと不思議な気持ちで店に行くたびに見つめていた。店主は静かな人で、商売っ気がなく自由に店内探索を許してくれていた。
 最後に「科学教材」で購入した模型はSL(写真3)だったと思う。中学生の高学年になったいたはず。色づけもして写真なんかも撮ってなかなかの出来栄えに満足した思い出がある。その「科学教材」もいつのまにかなくなってしまった。

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