「ビル歯科」のあった伊予鉄会館

写真1
 写真1の白く大きく写っているのが、昭和35年4月に完成した5階建ての伊予鉄会館。ロープウェイ街入口を挟んで手前には、昭和29年に新築された愛媛銀行(当時は愛媛相互銀行)の大街道支店が少し写っている。この写真は昭和31年に建設された4階建て2代目の三越屋上から撮影されたものと思われる。右手、遠く(御宝町)に、建設中の、愛媛相互銀行本店(5階建)、その中間に商工中金松山支店が見える。当時伊予鉄会館が一番高い建物だったのだろうと想像される。

 三越は子供にとって良い思い出であるが、伊予鉄会館といえば、建物内に「ビル歯科」という歯医者さんがあって、子供の頃虫歯治療によく行った「痛い」思い出がある。子供にとって三越より立派に見えた伊予鉄会館の中で何がされているのか関心もなかったが、「ビル歯科」のある建物ということのみが記憶に刻まれている。

 当時は虫歯予防の教育ってほとんどなされてなくて、母親の書棚に「頭のかしこい子を育てるには」とかいう本はあったが、母親から歯の磨き方を教育された記憶はない。実際朝起きた時に1日1回磨くだけだった。当時60歳くらいになると、健康な歯まで抜いて総入れ歯にするのが流行っていたのではないか?両親ともそうだった。

 そんな時代だった。そして家の近くに歯医者さんがないので、虫歯が痛くなると「ビル歯科」に治療に行っていた。今でもあの歯医者独特の臭いというか香りと、歯科診察台から見える一番町の電車通りが思い出される。

 病院と言えば、一番町の一本南側の通りに○○小児科があってそこには自分の子供たちも通院した。子供と診察待をしている時、IC(インフォームドコンセント)という先駆的取り組みを積極的に取り入れているというチラシが待合室に置かれていた。30年程前の事であるが、その後ICは進んでいるのだろうか?疑問に思うことが多い。

 その小児科の通りに入る手前に松山では有名な10円手相の「先生」が移動式の小屋を建てていて、高校生の時観てもらった事がある。たしか有名な武士の名前を引用して、「君は高度な常識人だ」と言われた。まだ夢を持っていた10代の少年は「常識人」という言葉にちょっとがっかりした。でも確かに当たっているかなと思う。

写真2
 写真2は、伊予鉄会館を県庁方向に撮影したもの。三越がはっきり見える。そして愛媛銀行大街道支店の壁面を飾っていたレリーフが写っている。このレリーフは、「伊予柑を収穫する男女の像」と題されるもので、1954年6月に製作されたもの。原作者は伊奈重孝、製作は伊奈製陶。2005年12月愛媛銀行の本店別館横に移設されている(写真3)。移設された場所に由来の書かれた銘板がある。

 「1954年新築の愛媛銀行大街道支店の外壁を飾ったテラコットレリーフ。永年に亘り一番町交差点のシンボルとして親しまれたが、1989年10月同支店の立て替えに伴い、生誕の地愛知県常滑市に里帰りし、INAXの創業の地にある「窯のある広場」に野外展示されていた。2005年12月、愛媛銀行のメモリアルとして本地に移設展示する。」


写真3

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