伊予鉄石手川公園駅

今でこそ「公園駅」と洒落た名前がついているが、昭和30年代当時、そこは私にとって異界の地であった。両親に連れられてこの近くに住むいとこの家を訪問するには、立花橋を渡り、屠殺場の前を通らないといけなっかた。屠殺場の前を通ると牛馬の断末魔の声が聞こえてきそうで気味が悪かった。そしてなによりそこまでの道の両脇がうっそうと茂った木に覆われ昼でも暗くよけいに私を気持ち悪がらせた。

 いとこの家は写真の陸橋の少し下流にあったように思う。戦後河川敷に建てられた市営住宅にいとこたちは住んでいた。国立病院の医師をしていた叔父がなぜそこに住んでいたのか詳細は知らないが(後年小説家でもある叔父はそのことを「告発」という小説で触れている)、いとこの家に遊びに行くのは、道中の気持ち悪さを我慢できるほど、楽しみであった。

 当時の子供の遊びと言えばコマやパッチンをしたりかくれんぼ・かんけりといったものしかなかったけれど、いとこの家に珍しい玩具がたくさんあった。うらやましい反面結構楽しんでいたのだろう。

 ある日、何故か父親にこの陸橋まで連れていかれたことがある。父親はこの陸橋をすたすたと歩き、小さな私を手招いて呼ぶが、私の方は枕木の下を覗くと川面が丸見えで立ちすくんでいた。その後、父に手を引かれて陸橋を渡ったが、いとこの家に行ったかどうか記憶にない。

 右の写真の橋の基礎部に半円状の軌跡がある。かつてここは穴蔵状になっていて人が住んでいて、後年コンクリートで埋めたそうです。

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