松林の土手の石手川





写真1
 山頭火の句に、「一洵君と共に石手川にそうて」として「石を枕に雲のゆくえを」がある。父の若い頃の写真にも石手川の石に座りサングラスをかけて「格好つけて」写した写真がある。石手川は当時の大人にとっては散策の場所だったのかもしれない。

 子供の頃の遊び場と言えば、自宅周辺が主だったが、幼稚園(石手川幼稚園)に隣接する八坂公園や、ちょっと遠出して石手川の土手と川の中で日暮れまで遊んだ。子供にとっては、散策という概念はなく、遊び場であり、ちょっとした冒険心がくすぐられる場所だった。
 石手川ダムの建設が昭和41年に始まり、昭和47年に完成した。たぶん着工に合わせて河岸の堤防の改修等も始まったと思うが、私の小学校までは、石手川の雰囲気は写真1(観光絵葉書)とあまり変わらなかったように思う。
 石手川での遊び場は、新立橋から中村橋までの土手と川岸そして川の中だった。自宅から勝山通を南進すると土手に登る石垣の坂があった。後年そこに国道11号線のバイパスが通る大きな橋が出来て風情が一変した。
 石垣のある坂を上った土手には、まだ当時いくつか戦直後に「不法」建築された?家がいくつか残っていたが、基本的には子供たちが遊べる広場だった。ゴム動力の竹細工の飛行機を飛ばしたり、冬には凧揚げをしたりして遊んだ。
 でもやはり当時の子供にとって、川遊びが遊びの中心だった。後年大きな国道の橋が出来た付近には、大きな堰堤があり、深い淵もあった。そこで鮒釣りをしたり、近所の駄菓子屋で売っている玉網でハヤやオイカワ、ウグイなどを追いかけて遊んだ。アユが稀に取れる事があった。そして当時の子供たちの中では「ひんしゅう」と呼んでいたうなぎの稚魚を探すのも楽しみのひとつだった。
 魚とりに飽きると、川を下ったり上ったりして飽きる事がなかった。当時の岸辺は護岸工事がされていなくて自然の草木で覆われていて、所々に入り組んだ岸辺があり、透明な水の下にきれいな白い砂が今でも目を瞑ると蘇ってくる。
 ところがこの岸辺、台風などで大水になると茶色く濁るのだが、魚たちが逃げ込む場所にもなり、よく大水になるとそこに出かけて玉網を突っ込んでは魚を捕った懐かしい記憶がある。
 そういえば、夏にはいつの頃までだろう、ホテル狩りに行った思い出もある。
写真2
 今、川辺を週末に散策しても、川遊びをしている子供を見かけることはない。護岸はコンクリートで覆われていて、そこを犬を連れて散歩する人を見かけるくらいだ。風景と風情は一変してしまった。
 風景で大きく変わったのはもう一つ。子供の頃は、石手川の土手には大きな松の木が立ち並んでいた。写真2は高校生の頃友人と土手を散歩した時の写真だ。まだその頃は松の木が残っていたのだ。その後、松くい虫の被害で石手川の松の木は全滅して伐採されてしまった。
写真3
 最後に写真3は、岩堰の赤橋の写真。これも観光絵葉書の写真だ。子供の頃、岩堰は随分遠くの場所に思われて、年に1回くらいしか行かなかった。「懐かしい風景」でも今の岩堰のつり橋の写真を紹介したが、そこで橋柱が埋まっているのでは?と指摘したが、この写真をみると、やはりそうだったのがよく分かる。

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