茶の味


   実に石井克人らしい作品だった。「鮫肌男と桃尻女」、「PARTY7」で見せていた終始客の反応をうかがっている気配は相変わらず作品全体を覆っていた。

 彼の作品の根本はある意味徹底している。それはビジュアル効果にほとんどすべてを賭けていること、逆に言うと、ビジュアル的、テクノ的、表層的表現こそがこの監督の最大の関心ごとであり、この監督の映画に対する世界観なので、彼がCGに走ったのはある意味必然だったといえる。そしてそのビジュアルは世紀末から現れた時代の雰囲気を徹底して貫いている。

 この監督は賢いので時代そのものの新しさを生み出すことの困難さをよくわかっている。なのでこの監督の求める新しさとはあくまでサブカルチャーの手法に終始する。具体的に言うと、極端にかっこいいものや特別なものを登場させず、登場したと思ったらそれを無化させる演出を同時に行う。何が起ころうと、誰が登場しようとも他の登場人物とあくまで同じポジションにおさめようというもの。

 彼の映画には確かにいろんな変わった人が出てくる。しかしヤクザも非常にコミカル に描かれ、成功した漫画家もお医者さんも誰もが皆が畳の上に座っている。畳とは、椅子のない場所であり、目線の高さの調整のきかない場所であり、皆が同じ目線の高さを共有する、そういう人の価値を等価に置くための装置でもある。

 ストーリーの作り方だけど、基本的には北野武に似ている。さまざまなエピソードを考えておいて、それを後でつなぎ合わせて物語を作る。場面場面でおちがついているのはそのためで、だからこちらとしてはショートコントの連続を見せられている感じなので終始楽しんでみることができる。ある意味この方法は前後のつながりを失いがちなので非常に危険な手法なのだけど、そこはストーリーをしっかり持たせ、その流れの中に巧みに挟んでいっているので何とか映画そのものの崩壊を免れている。綱渡り的な危うさではあるが、ギャグセンスとつなぎのうまさで成功している。

 田舎を舞台にしたことも成功の要因。CGを駆使した斬新な映像は田舎であるが故にそ のコントラストの強さを保てる。もしこれが都会が舞台なら平凡な映画に終わったかもしれない。しかしそもそも田舎とCGという組み合わせこそが最初から、すごい映像を無化させてやろうというこの監督の野望なのである。つまり石井監督はCGを武器にしているようで実は否定している。そこがじつはこの映画の核心だったりする。  


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