「ひとつだけ約束して、愛してるふりは絶対しないで」 パトリス・ルコント監督「髪結いの亭主」より



 少年の頃から理容師の女性と結婚するのが夢だったアントワーヌはふと立ち寄った理髪店でマチルドに会い、結婚を申し込む。彼は望む力が強ければ、その望は必ず実現すると確信している。マチルドは彼のプロポーズを素直に受入れる。そして、現実から隔離された小さな理髪店で二人の甘美で至福に満ちた時が始る。

 客のいなくなった夕刻、店の中でアントワーヌとマチルドは愛し始める。豊かなマチルドの胸に顔を埋めるアントワーヌにせつなく訴えるマチルドの言葉が冒頭のセリフである。このセリフに私はドキリとした。

 男と女の情熱はいつかは冷める。愛しているふりをするのも億却になり、日々の生活に埋没する。そのことが分っているからこそ、女は全人格を込めて男を愛する。男もそれに応え、子供はつくらず、夫婦の間隙を埋める友人も必要としないほど女を愛する。閉ざされた世界で女は髪を切り、男はアラブの歌に合せて踊る。そして見詰めあいセックスをする。二人のセックスは美しく、エレガントでさえある。それは、二人のセックスが純粋に愛情の発露であるからだろう。

 狂言回しの常連客が言うように、ものにはすべて原型がある。二人の愛はその原型である。二人の店に現実世界に生きる夫婦が紛れ込む場面があるが、二人の前ではいかにもみすぼらしく滑稽だ。

 そして、かの常連客が言うように、死は突然夕立とともに訪れる。それは、必然であり、用意されていたものである。マチルドは、二人の愛をそしてその幸福感を永遠なものにするため、つまり「あなたが死んだり、私に飽きてしまい、やさしさだけが残ってしまう」まえに、死を選ぶ。残されたアントワーヌはその死を理解し受入れる。

 私は、二人の原型の愛に魅了されるが、我身に引き寄せやはり怖い気がする。あんなふうに裸に愛されて受け止めることができるのか、そして応えて愛することができるのか。なによりも中途半端に愛して、愛しい大切な人に去られるのがなによりつらい。現実の愛は始ればいつか終わる。それじゃ、愛を始らせないストイックな愛があってもいいのじゃないかと考える。


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