しかし、不遇とは、いったい何だろう。一般に我々は、所有とか社会的地位とかにとらわれ評価を下してしまう。商売が傾き無一物になって不遇の身だとか、属する組織に疎まれ出世の道を断たれ不遇だとか思いがちである。それらは言ってみれば他者からの評価である。心の内にみずから律するものを持たない故の不遇感であり、悩みである。管理社会に生きる男は特にその傾向が強い。
男はその属する組織に拘泥し、囚われて生きている。自分の人生だのに誰か他人の人生を生きているのでは?とふと考えさせられることがある。
そういった男社会に生きている私は、アンという少女の生きかたを見て、爽快感を覚えた。彼女は、社会的規範とか社会的評価から自由である。自分の心で感じ、悩み、悲しみ、喜び、行動し、そしてなにより人生を楽しんでいる。少なくとも彼女は、自分の人生において自分を主人公にして生きているのである。たしかにそういった生きかたは、他者から疎まれ、誤解を受け、他者との軋轢を生む場合がある。
誤解と偏見から親友ダイアナとの交際を禁じられたアンが、恩師ステーシー先生に励まされる。「試練や苦難は突然やってくるものだけど…それはとても有益で人格を作ってくれる。投げ出さない限り何かを学ぶわ」に冒頭のセリフが続く。
「新しい日」とは、「人生、谷あり山あり」といった運によってめぐって来るものではなく、心のありようにより訪れるものだと思える。「新しい日」は逆に、未知なるが故に我々を怯ませることがある。そんな時、私を勇気づけてくれる言葉を二つ最後に紹介しておきたい。
「人間に恐ろしいのは、未知の事柄だけだ。だが未知も、それに向かって挑みかかるものにとっては、すでに未知ではない」
「ぼくら以外のところにあって、しかもぼくらのあいだに共通の目的によって兄弟たちと結ばれる時、ぼくらは初めて楽に息がつける。」
サン・デグジェペリ『人間の土地』より