「愛されたかった。愛するように」 ルイ・マル監督「鬼火」より



 主人公アランはパリ近郊の病院にアルコール中毒の「解毒」のため、ニューヨークにいる妻の仕送りを受け入院 している。回復したアランは数年ぶりにパリの友人たちを訪ねる。皆一様に優しいが、アランの知人たちに求め ていた期待は裏切られる。

 「僕が好きなのは、情熱より情熱の結果だ」と言う友人デュプールにアランは、「情熱はどこだ。昔の目の輝きも精力もない」と詰め寄る。デュプールは答える。「妻や娘やカビくさい家が生 きがいだ。希望のかわりに安定がある。青春は期待であり、幻影でもあった」

 つぎに訪ねた女友達は言う。 「友人は皆変人だけど、時とともに変り、やがて世事に追われる。子供や仕事や古本に」

 アランはしだいに疎外感を深めていく。最後にかつての愛人や友人たちの集う夜会に顔を出すのだけれど、 彼等はよそよそしい。 アランは話し相手を見付けることができないばかりか、『何にも触れない、何かに触れても感じない』事態に陥 る。そして夜会を後にする。アランの後を追った若者の「結局どうしたいの」という問いに対するアランの答え が冒頭のセリフである。

 決して女々しいセリフだとは思わない。むしろ我が身の体験を重ね、胸が詰った。す べての人間に見離されようとも、自分を理解し、愛してくれる人を一人実感できれば、人は生きることができる 。アランは、自分を愛してくれる人が誰もいないことを知る。そして、『死に触れる』ことになる。


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