「神の家に入るとき、青い広々とした敷居を清めて持って行く。しわもつけず、しみもつけず持って行く。それは……俺の心意気だ」 ドパルデュー主演「シラノ・ド・ベルジュラック」


 私の好きな作家辻邦生氏が、映画評論の中で、こんなことを言っている。「私は〈好き〉という状態のなかに人生の救いを感じている。〈好き〉なものに出会ったときにのみ、人の心は幸福に高鳴ると思えるからだ」

 こういう意味において、私は、映画そして原作「シラノ・ド・ベルジュラック」が大好きである。私はこの作品に人生の救い(生きるうえでの励ましの指針)を感じる。

 お馴染みのラストシーン。真実を知ったロクサーヌに抱かれながらも、死霊に立ち向かうシラノ。「そこに群がる奴等は何者だ?…俺の古馴染みの敵共だな!…妥協、偏見、卑怯の亡者共だな!…なに、和睦しろ?…真っ平だ、…飽くまで戦うぞ!……貴様達は俺のものを皆奪い取る気だな、桂の冠も、薔薇の花も!だがな、貴様達にゃどうしたって奪いきれぬ佳いものを、俺はあの世に持っていくのだ」このあと冒頭のセリフが続く。

 ある評論に「…『シラノ』は、失われた時間への悔恨で終わる悲劇でもある」とあった。たしかに恋物語としては、悲恋かもしれない。しかし、私が涙したのは悲恋のためではない。俗物を排し、高潔で不羈奔放な魂を守り抜いた孤高の人シラノに人生の師を見、淨福感に満たされ、涙するのである。私は、不合理な現実に立ちつくし、妥協の誘惑に陥るとき、シラノを思いだす。シラノのように羽根飾をもって生きようと。

 最後に映画の出来は?最高である。原作に敬意を持ちつつも、徹底した映画的演出を貫いた監督の力量。原作の台詞の韻律を壊すことなく、「無駄」を削り、映画のリズムに合う台詞とした脚色の旨さ。また、美術、音楽、衣裳の素晴らしさ。そしてなんといっても、シラノ役ドパルデューの演技。彼はシラノを演じるために生まれてきたのではないか!?最高のスタッフとキャストに拍手を贈りたい。


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