「山はな、一人でおってもちっとも淋しゅうないんじゃ。木や花がみんな生きとるから」  神山征二郎監督「ふるさと」より



 物語の舞台は岐阜県揖斐川の上流徳山村。ダム建設のため水没・廃村の運命にあるこの村の最後の年、新緑から粉雪の舞う初冬までの移り行く美しい山の四季を背景にじいとぼうの交流を描いている。

 じいは家族の者から「ボケ」だしたと思われているが、話が進むにつれ、ほんとうに「ボケ」ているのは、様々な状況に翻弄されながら、結局ふるさとを売り渡してしまう者たちの方だと思えてくる。それは、便利さ・快適さそしてお金のために全国いや全世界でふるさとを売り渡し、破壊している現代日本人の姿でもある。

 そこで暮す人々の生活を根こそぎ奪い、楽しいあるいは悲しいそして大切な思い出の刻まれたふるさとをコンクリートで固め、水没させるような仕打をして果たして人々を幸せにできるのだろうか。

 冒頭のセリフは、あまご釣の名人であったじいとぼうがあまごの主がいるという山奥の淵まで遠出をした時のじいの言葉である。このセリフを聞き、日本人は何時から自然との共生ということを忘れてしまったのだろうと改めて思った。たぶんごく最近のことなんだろう。

 このセリフの後、あまご釣の最中じいは倒れるのだが、薄れ行く意識のなか、若き日の回想シーンが挟まれる。山仕事の帰りだろうか、あまごを土産に持つ若きじいを迎えに、畦道を美しい妻と子供達が走り寄る。この美しい回想シーンを見て、日本人は何時から幸せの本当の意味を忘れてしまったれだろうと改めて思った。

 物語は、ふるさとを捨てる村人が峠を越えるシーンで終わる。それは現代日本人全体の姿にも思える。彼等にはどんな未来が待っているのだろう。そんなことを想像していると、「天空の城ラピュタ」のあるセリフを思い出した。

 「今ラピュタが何故滅びたのか、私よく分るの。ゴンドアの谷の歌にあるもの。“土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう”」


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