そんな彼が待合室で脳腫瘍の患者ジューンと知り合う。ジューンは、医師の誤診のため脳腫瘍の発見が遅れ回復の見込がなく、死を覚悟している。そんな彼女にも心残りがある。「インディアン・ダンスショーの前列の切符を持っていたわ。ここに来ていたの。でも病院にいて見逃したの。やり残したことのひとつね」
ジューンに心開くジャック。インディアン・ダンスショーを追ってドライブする二人。夕闇迫る砂漠で車を止めダンスをする二人。見詰め合う二人の微笑み。生涯忘れられないとても美しい場面だ。二人の心は響き合いひとつになっている。
女性の心理は今もって私には分らないが、少なくとも男は自分を理解してくれる女性に甘えてしまう。ジャックは手術の前、ジューンの家を夜訪ね、「今まで妻はそこにいた。腕のとどく所に。でも今はもう離れてしまった」とジューンに訴える。言外に「君にそばにいて欲しい」と甘えているのである。
そして冒頭のセリフは、夫がジューンを訪ねたことを知った妻アンの言葉である。続いて、「あなたは私の友達だったのに離れていったわ。朝目覚めてただ孤独だと気付くの」
ジューンはジャックへの手紙を残し静かに息を引き取る。目を閉じたジューンにジャックは語りかける。「わがままなお願いだが、君に支えて欲しかった。真実の気持ちだ。君から教えてもらいたかった。君のことは何ひとつ知らないんだ。いや知っている、君は人生を愛していた」
ジャック、アン、ジューンの三者の気持ち(ジューンの気持ちはジャックへの手紙に記されている)が痛いほどよく分る。ただ私にはこんなふうに思える。人には、普段意識する世界=そこには社会生活があり、結婚生活があり友人関係があり、時間的にも空間的にも人生の大半を占める世界=とは別に壁に囲まれたもう一つの世界があると。壁の内側の世界は自分一人が生きる世界で、そこは“純粋”な世界である。純真でそして純粋に邪悪な自分がいる。純粋に矛盾に満ちた世界だけど完璧な世界である。壁の内側の世界は他人が入るべきではない絶対的に孤独な世界で、本来その孤独感は一人で担うべきものだけど、時としてその孤独感を理解し共有できる相手とめぐり逢うことがある。その時、両者は響き合い求め合うものなのだろう。ジャックの場合その相手が妻アンではなくジューンだったのだ。それはどうしようもない事実なのだ。
手術は成功し、ジューンはもういない。ジャックはアンと和解しもとの世界に戻る。しかし壁の内側の世界にはジューンが永遠に生き続けているように私には思える。