「小さい世界だろうが自分の愛する、悔いのない世界を描こうと 決めたんだよ」 「田舎の日曜日」より



 「田舎の日曜日」は、人生の晩年を生きるある老画家ラドミラルの一日を描いている。ストーリーらしいストーリーはない。息子一家と娘が、ある日曜日、田舎に住む老父を訪ねそして去ってゆく平凡な一日の物語である。しかし、見るものを飽きさせない。そればかりか見る者の心を豊かにさせてくれる。陽にきらめく紅葉に彩られた庭園、実りの時期を迎えた田園風景、人々の語らい、ゆったり流れる時間、郷愁を呼び起こすフォーレの音楽。老画家の愛した世界(人生)が画面の中に再現されているのである。

 ラドミラルは、同時代に生きたモネやルノアールといった激しい個性を持った天才ではない。どちらかと言えば平凡で保守的な画家である。人生に強烈なものを求め続けている美しい娘イレーヌはそういった父親の絵を好きになれない。

 その娘イレーヌとラドミラルはドライブに出かけ、森の中のレストランで娘に彼の人生を語るのである。「印象派や、新しい美術の運動に自分なりについていこうとしたが、やはりついていけなかった……」このあと、冒頭のセリフが続く。この父の言葉にイレーヌは心打たれる。「パパ、それは素晴らしい生き方よ。…私と踊って」と言って、イレーヌは老父と村人の踊りの輪に入るのである。

 このラドミラルの言葉は決して敗残者の弁ではなく、イレーヌの言葉も慰めではない。ラドミラルは、彼自身の人生を生きたのであり、自身の人生を愛している。死を間近に控え、人生に悔いは感じていないのである。とかく我々は、属する組織に迎合し自己保身を図り、あるいは忙しく追い立てられるように生き、自分の人生を見失いがちである。しかし、少なくとも自分自身の人生の主人ではありたい。 子供達が去った後、ラドミラルはアトリエに入り、ひとり新しいカンバスに向かう。


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