映画日記-97年10月


バウンド(10月5日:シネマルナティック)
 画面から緊迫感が伝わってくる映画だった。ほとんどアパートの一室で話は展開するのだけれど、シナリオと演出の力で見る者をぐいぐい引っ張っていく。そして画面の色づかいもきまっている。この色づかいのせいだろうか、アメリカ映画なのにアメリカ映画らしくない不思議な雰囲気がある。
 ひとつ注文をつければ、結末である。あれしかない!!といった結末なのだけれど、物語の繋がりからいくと、あれっ?と思ってしまう。マフィアの情婦コーキーは、情夫シーザーを裏切る理由を恋人ヴァイオレットにこう打ち明ける。「シーザーの暴力が怖いの」 暴力から逃れる手段として、最後コーキーも自身暴力にたよってしまう。 暴力にたよらない小気味よい罠を最後にしかけて欲しかった。

アキュムレーター1(10月18日:シネマルナティック)
 ゆうばり国際冒険映画祭グランプリ作品。初めて見るチェコ映画である。監督は、97年アカデミー外国語映画賞受賞作品「コーリャ愛のプラハ」の監督ヤン・スビエラークであるが、「アキュムレーター1」の方は、奇想天外な、どちらかといえばB級映画である。
 測量技師オルドはエネルギー喪失症と診断されている。彼は、自然学者を名乗る男の協力を得て、自分のエネルギーを吸い取る虚構の世界がTVのブラウン管の向こう側にあることをつきとめる。そして美しい恋人との新しい人生のため、戦いを始めるという設定である。
 ばかばかしい設定なのだけれど、パソコンに長時間、とりわけインターネットなどに長時間取り憑かれるていると、エネルギー喪失症は現実味を感じてしまう。ディスプレイの向こうの仮想現実にはまり込んで、現実世界に生きる気力をなくしてしまいそうになる。というわけで、私には切実な映画であった。
 そして、チェコという国の現在を知ることができたのも一つの収穫であった。映画は、自分の経験できない様々な人生や風景を切り取って見せてくれる。それは、私たちを豊かにさせてくれると同時に、様々な人生を見ることによりその様々な人生を受容する寛容の精神を我々に与えてくれる。

フィフスエレメント(10月25日:宇和島シネマサンシャイン)
 リュック・ベッソン監督の作品は、「ニキータ」と「レオン」を見ている。「ニキータ」の描く題材は、アメリカ的なものなのだけれど、映像は正ににフランス映画だった。次作「レオン」は、アメリカ映画であるが、ベッソンの力量をよく発揮した傑作だった。題材の選択も良かった。
 そして、今回のSF超大作「フィフスエレメント」である。導入部の神話的物語設定とその映像、そしてフィフスエレメントの再生場面のSFX映像、このあたりまでは、期待と予感があったのだけれど、その後のストーリー展開の中だるみ、時代設定である23世紀イメージの貧困さ、そして凡庸な結末と言い、今回の作品で、ベッソンは莫大な予算を持て余したのではと思われる。

コンエアー(10月25日:宇和島シネマサンシャイン)
 最近快調のニコラス・ケイジ主演である。ニコラス・ケイジは、あまり好きな俳優ではないのだけれど、彼の出演している映画は何故かよく見ている。「バーディー」「ペギー・スーの結婚」「月の輝く夜に」「ワイルド・アット・ハート」「リービングラスベガス」「ザ・ロック」。どれも良い作品である。ただ今回の作品は、すこしがっかりさせられた。
 物語の設定はこんなふうだ。主人公は、酒場からの帰り、絡んでくる暴漢から妻を守るが、過剰防衛のため殺人を犯してしまう。彼は軍隊で特殊訓練を受けており、過剰防衛は適用されず第一級殺人と認定されてしまう。刑務所では妻子に会うため、模範囚を通し、仮釈放の日を待ちわびる。そして仮釈放の日を迎えるが、乗り合わせた護送機が凶悪犯の手に落ちる・・・。
 ハラハラドキドキの展開そして結末の興奮と感動を予感させるものなのだけれど、肩すかしをくらってしまった。映画を見る理由にカタルシス効果があるが、この作品を見終わって残念ながらカタルシスは味わえなかった。


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