映画日記-97年9月


コンタクト(9月29日: 宇和島シネマサンシャイン)

 2時間30分の大作であるが、一気に見てしまった。いつも感じることだけれど深いテーマ(この作品では、例えば科学と宗教)を設定しながら、エンターテイメントとしても観客を楽しませてくれるアメリカ映画の実力には感心してしまう。
 「コンタクト」は、地球外知的生命の発見に情熱をかたむけるエリー(ジョディ・フォスター)の人生観、世界観、宗教観を描く映画と言ってもいいのではないかと思う。というのは、エリー以外つまりエリーに関わる人物は、彼女を際だたせる道化役としての設定のように思える。エリーの恋人役で大統領の宗教顧問パーマーにしても影は薄いし、第一宗教顧問という設定が現実味を帯びない。地球外生命を脅威としか認めない軍事顧問の役柄も型どおりだし、エリーの功績を横取りする上司、コンタクトを神への冒涜と指弾しテロに走る教条的宗教家だって右に同じである。宇宙船ミールからエリーを援助する資産家ハデンにいたっては、とても怪しい。しかし、どの人物もエリーを描くための役柄を与えられ演じているのだと解釈すれば、納得がいくのである。

 以下、エリーの人生観、世界観、宗教観とその変貌を示唆するセリフを追いながら「コンタクト」の感想としたい。
 人類は、エリーの発見で地球外知的生命の存在を確認し、彼らとコンタクトするプロジェクトを実行するが、その乗組員選考会でのやりとりがまず興味深い。地球外知的生命とコンタクトできたら何を聞いてみたいかという選考委員の質問に、エリーは「自分たちの文明の進歩をどのようにコントロールしたのか、自滅の道をどのように回避したのか聞いてみたい。」と答える。ここには、科学の最先端の場にいながら、科学の進歩を盲目的に100%認めるわけではないエリーのすぐれて科学的!!な姿を見ることができる。
 ただし、これはエリーの姿・形を借りた原作者故カール・セーガン博士の質問だろうと思う。博士は、地球外生命の存在を確信しながらも、環境破壊という科学文明の自滅の道が頭から離れなかったと思う。星間旅行が実現できる以前に文明は自滅してしまうのではという彼の説を読んだことがある。
 最後に、選考委員でもあるパーマーにこう質問される、「神を信じますか?」この質問にエリーは、「実証できないものは、認めることはできない」と正直に答える。この場面で神を否定することは、 すなわち選考会での落選を意味することになるのだけれど、逆に彼女の気高いモラルを示す場面でもあった。
 因にこの問答は、2000年前、イエスを否定したパウロの時代からの永遠のテーマである。別の場所でのエリーとパーマーの以下のやりとりにこのテーマに対する一つの回答をみた想いが私はした。

 エリー :「神がいると言うなら、その証拠が必要よ」
 パーマー:「君は亡くなった父親を愛してると言った。その証拠を見せろ」

 神を否定したエリーは選考会で落選してしまうけれど、紆余曲折がありエリーは、ヴェガ星に向け旅立つことになる。エリーはワームホールを通り、時空を超えた旅をする。そこでエリーは、言葉では表わせない程の感動を得る....。最終目的地のヴェガ星では、父親の姿を借りた知的生命(以下父親)と出会う。この場面、情景はいかにも作り物のヴァーチャル世界なのだけれど、私は感動してしまった。前後の脈絡は忘れたが、父親はエリーにこう語りかける。「孤独を癒してくれるのは、お互いの存在なのだ」
 地球に帰還したエリーは、政府の公聴会に呼ばれる。彼女の旅行は地球時間では1秒にも満たない時間だった。幻覚を見たのじゃないかと、かの軍事顧問に質問されるが、エリーはこう答える。「証拠は何もない、でも私は信じているし、それを皆に伝えたい」変貌後のエリーの姿がここにある。

 この作品を見ていて私は、少年の頃を思い出していた。勿論エリーの夢を追う一途な生き方を見てのことだ。少年時代、私にも情熱を傾ける夢があった。何時の頃、あの生き方を忘れてしまったのだろう。現在の自分の姿は、サン=テグジュペリが言う夢をどこかに置き忘れた孤独なツールーズの小市民そのものだ。
 「老サラリーマンよ....きみは、自分のブルジョア流の安全感のうちに、自分の習慣のうちに、自分の田舎暮らしの息づまりそうな儀礼のうちに、体を小さくまるめてもぐりこんでしまったのだ。.....君は漂流する遊星の住民などではありはしない。君は答えのないような疑問を自分に向けたりはしない。要するにきみは、ツールーズの小市民なのだ。.....今後、最初きみのうちに宿っていたかもしれない、眠れる音楽家を、詩人を、あるいはまた天文学者を、目覚めさせることは、はや絶対にできなくなってしまった。」(サン=テグジュペリ「人間の土地」から)

 このサン=テグジュペリの言葉は私に諦めと悔恨をもたらすものではない。逆に自分の本来あるべき姿への郷愁を呼び起こさせてくれる。映画「コンタクト」も同じ意味で私に自省の機会を与えてくれた。
 科学は人類を便利にしたけれど、疲労感と孤独をもたらしたことを多くの人が感じている。他を共感するという癒しはどこからくるのだろうか?私はとりあえず今夜、夜空を見上げ天の声に耳を澄ましてみようと思う。私にも少年の頃宿っていた天文学者の心がよみがえるだろうか。


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