映画日記-97年8月


八日目(8月1日:シネマルナティック)
 障害者自身が主演している映画はコメントするのが難しいけれど、あえて率直な感想を言えば、なんか納得できないなって感じを持った。健常者が癒され、障害者が死を選択するという結末。それと、他にも障害者差別や人種差別を助長する描写もあったのではと思う。最後にダウン症に関するコメントが映し出されるが、配給者もおおかたの人が私と同じような感想を持つと予想しての配慮か?


もののけ姫(8月2日:シネマサンシャイン)
 映画館は、子供で溢れ映画が始まってもうるさく、絵のピントもずれていて最悪の環境だった。コメントは再度見直してからとしたい。


ロストワールド(8月10日:宇和島シネマサンシャイン)
 評判はあまり芳しくないので、いやむしろ多くの人の批判の対象とされているので、実際はどうなんだろうという気持ちで見に行ったのだけれど、私個人としては、楽しめた。 私の場合、記憶の最初にある映画はたしか「マタンゴ」という南海の孤島を舞台にしたホラー映画で、その後もモスラやガメラそして海底2万海里等の南海を舞台にした怪獣ものが鮮烈に記憶に残っている。というわけで、南海の孤島・恐竜と聞いただけで反応してしまうところがあるのかもしれない。スピルバーグがジュラシックパークのような作品を撮り続けるのは、私と同じようにワクワクドキドキした子供の頃の記憶のせいだろうと思う。
 今回の作品は、前作にもまして恐竜が主役である。俳優は全員エキストラという感じで存在感はないのだけれど、それで良いのだと思う。恐竜たちのあのリアルな動きを見るだけで楽しめるのである。
 ひとつだけ、ストーリー展開で気になる点ある。生け捕りにしたT-REXをアメリカ本土に輸送するのだけれど、船は暴走してニューヨークの岸壁に激突してしまう。船に乗り込んでみると荒らされた船。乗組員は全員T-REXに食い殺されているのである。ここで誰かが誤って船倉の蓋を開ける電動ボタンを押しててしまう。そしてT-REXが船倉から登場....。??? T-REXはどうやって船倉を出て乗組員を食い殺し、そしてまた船倉に入り、ご丁寧に蓋まで閉めたのか....?


太陽の少年(8月11日:シネマルナティック)
 監督・脚本のチアン・ウェンは、1963年生まれの33歳。作品のチラシの解説を読んで、「芙蓉鎮」「紅いコーリャン」に主演した俳優だと知らされた。俳優として出演したこの2作品で描かれた社会状況は、日本人の我々から見ると特異で、中国という異質な社会の存在を私は思い知らされていた。
 だが、彼の初監督作品「太陽の少年」の描く世界は、我々と同じである。少なくとも私の少年時代の風景と同じであった。
 映画の物語は、少年時代を振り返る主人公のモノローグから始まる。「あの頃を思い出すと、頭に浮かぶのは、夏・太陽の輝き...」
 人生の美しい季節は私にとっても10代の頃だ。そして思い出す風景はやはり私の場合も夏の日々である。あの頃、美しい夏を過ごした日々、何時眠りについたのか思い出せない。「太陽の少年」シャオチュンほどの不良ではなかったが、深夜友人と別れ玄関を閉め出された私は電柱から2階の自分の部屋に帰り着いたことがよくあった。
 美しい夏と言ったが、10代後半の少年時代と言えば、淫らな欲望と純粋な心情が同居するアンビヴァレンスな時期である。今思えば淫らな欲望も純粋だった。このアンビヴァレンスな少年時代を「太陽の少年」はみずみずしくスピーディーに描いている。
 印象に残る場面がある。不良仲間と馬鹿騒ぎして過ごした明け方、シャオチュンが仲間のマドンナ、ミーランを自転車の荷台に乗せ下放先の農場に送っていく。夜明けの誰もいない朝霧のたつ農道を、好きな女性と二人で走る場面である。少年にとって至福の時である。
 そしてもうひとつ、プールの場面。ふてくされて一人でいるシャオチュンの前に赤い水着のミーランがお尻を向けてプールに向かっている。シャオチュンはそのお尻を足で蹴りミーランをプールに突き落とすのである。私はこの心情がよく分かる。
 物語の最後、ちょっとした出来事のためシャオチュンは仲間ともミーランとも別れる。
 私の場合も、大学進学という出来事のため何の疑問もなく友人たちそして私のミーランとも別れてしまった。今思い出そうとしても何故あんなにあっさりとさよならを言えたのか当時の心情を思い出せない。大学1年の夏休み郷里に帰り彼女を訪ねたが、すでに行方知らずとなっていた。


スピード2(8月16日:シネリエンテ)
 キアヌ・リーブス主演で「スピード2」と思っていたのだけれど、相手役サンドラ・ブロック主演での「スピード2」でした。「スピード」は、ハラハラドキドキ、あっという間にエンドマークだった。それくらい面白かった。そしてしばらくたって内容を思い出そうとすると、「?」。記憶に残っていないのである。けなしているのではなく、エンターテイメントとしてそれくらい脚本も完璧だったのである。
 そして、今回の「スピード2」なのだけれど、前作に比べスケールも大きく、結構楽しめるのだけれど、見終わったあと、「あれは何だったのだろう」と疑問に残る点が幾つかある。
 手話の少女...........。手話という設定は何かの伏線に使えたのでは?
 カメラ男.............。パチパチとってた写真はなんのため?
 タンカーの爆発等.....。必死で衝突を回避したのにタンカーは爆発するし、港は破壊されるしで観客のカタルシスは中途半端になってしまう。
 それはともかく一番疑問に思ったのは、犯人は、宝石を強奪するという目的を達した後、ナンシー(サンドラ・ブロック)を人質にとるのだが、ストーリー展開上その必然性が全くないという点である。一人で逃げれば簡単に逃げおおせられたのにも関わらず足手まといの人質をとり、追跡を誘う。追跡劇を最後に設定するのならもう少し違和感のないストーリーを考えてほしかった。でも、料金の価値はある映画です。


ポストマンブルース(8月23日:湯布院映画祭)
 作品の上映に先だって監督等スタッフの挨拶で、監督サブさんを見ていたのだけれど、本編の上映が始まってまず最初に感じたのは、以外だなという感想。もっとアナーキーな映像が映し出されてのかと思ったのだけれど、以外にツボを押さえた本格的な映画作りであった。そして、コミカル。笑わせるだけじゃなくて観客を泣かせるコツも心得ている。なによりスピード感があり、最後まで一気に見せてくれる。上映終了後のシンポジュウムでも、今年のベスト1ですという評価の方が多かった。
 ただ、「いろいろ詰め込みすぎ」「ストーリーの辻褄が合わないところが多い」といった未成熟な面もあるのも事実。しかしこれはむしろ将来の大きな可能性と解すべきなのかもしれない。
 俳優出身の監督さんということだけど、体に似合った才能の大きさを感じる。自分の才能に対する自信もたっぷりといった感じで次の作品が楽しみである。


身も心も(8月23日:湯布院映画祭)
 全共闘世代を生きた中年男女4人の25年ぶりの再会を描く、脚本家荒井晴彦の初監督作品である。
 私事で恐縮だけれど、25年前と言えば私が大学に入学した年であり、学生運動はすでに終焉していた。余燼は残っていたけれど、私は「遅れて来た青年」だった。先輩の部屋に行くと、学長室にあったソファーが置かれてあったりした。先輩の話やそういった戦利品を見るにつけ、学生運動に参加した世代にあこがれもし、一定の敬意をもっていた。 ところが、この映画で描かれる彼ら(善彦・良介)はみっともない中年となっている。制作者の椎井友紀子さんのコメントをヒントに表現すると、「奥さんに捨てられた良介はアメリカへ行くのに母親に一緒に行ってくれと泣きつき、一方善彦も二人の女性との愛のないSEXの果て結局娘のところに帰っていく」
 遅れてきた世代の私だってみっともない中年になっているわけだけれど、そうだからこそ決断し行動した彼らの世代にはもう少しかっこよくいてほしいと思った。
 それに比べ、女性たちは(綾・麗子)はかっこいいのである。麗子と去っていく善彦を心で泣いて涙をこらえ見送る綾。義理と人情秤にかけりゃ義理が重たい女の世界なのである。麗子だって自分のスタイルで生きることを決意する。
 そして最後、エンディングの曲がクレジットに重なり流れる。「インターナショナル」なのである。ノスタルジックに編曲されていたのでそれが「インターナショナル」だとは最初分からなかった。案外この編曲がこの作品を語っているのかもしれない。幻想であったかもしれないが、自分の意志で決断し行動できたあの時代へのルスタルジア...。(上映日の夜のパーティーの席では荒井監督と同じテーブルだったので、その点を確かめたのだけど、当たらず遠からずといったところだったと思う)
 この作品、時間が経っても気にかかる作品である。感情移入できてしまうせいだろうか。みっともなく優柔不断でかっこ悪い善彦・良介だけれど、彼らと同世代の職場の上司とは話せないことも彼らとは話してみたいと思うのは私だけだろうか。


私たちが好きだったこと(8月24日:湯布院映画祭)
 「身も心も」の彼らより2世代ほど若い30代の現在進行形の青春を描いている。この作品、劇場で公開されても多分見なかったと思う。湯布院映画祭のお陰でみることができて良かった。
 ここで描かれる物語、ヴァージョンの違いはあるかもしれないけれど、誰しも経験のあることだと思う。少なくとも私には似たような経験があった。だから映画の冒頭から最後の別れの悲しみが伝わってきて、見ていてとても切ない。
 「身も心も」と同じ男女4人の設定なのだけれど、全共闘世代と違って男二人は、とても優しい。彼ら二人骨太な信条など持ち合わせていないけれど、しっかりもしている。そして自分のスタイルを乱すこともない。
 好きな女性愛子の幸せを願って与志は身を引く。物語の最終場面、別れて5年経ちお互い良い感じで再会する。映画のチラシには、「5年後、愛は静かに浄化した」とある。25年たってもこだわり続ける全共闘世代とは大違いなのである。
 良い映画なんだけれど、見ていて「与志くん、かっこ悪いことかもしれないけど、もう少し我を忘れて泣き叫んでもいいんじゃない」と声をかけたい歯がゆい想いがしてならない。



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