心に残る映画41「パターソン」


 ニュージャージー州パターソンというニューヨークから約25km離れた人口15万人ほどの寂れた街に住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)の1週間の生活を描いた映画。パターン化された毎日で大きな事件は何も起こらない。しかしこの作品、見終わって数週間経っても私には気になる映画なのです。何故だろう?

 彼の1日は、朝ダブルベッドの隣に眠る妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをして始まります。目覚める時間は6時15分だったり20分だったり、でも30分を過ぎることはありません。目覚めると一人でシリアルにミルクといった簡単な朝食を済ませ、ローラの写真の入ったランチボックスを下げて古いレンガ造りの町並みを歩いて出勤。そしてバスの発車時間を管理する同僚が来るまでの間パターソンは運転席で詩作をし秘密のノートに書き留める。最初に紹介される詩は、オハイオ印のブルーチップのマッチ箱の詩。最初聞いた時、これが詩?と訝ったのだけれど何故か印象に残っています。この作品自体が数週間経っても印象に残っているように。
 その後も何も起こらない、運転席の窓越しにパターソンの街並みが映し出され、結構中心部は賑わっているなと意外な感じ。そして定時に帰宅。ローラの作った一風変わったパイを、多分あれはまずいのだと思う、水で流し込んで食べる場面がありおもわずニコリとしてしまいます。ローラは作る料理だけでなく、彼女自身もちょっと変わった芸術家と思われ、部屋には彼女の描いたと思われる愛犬マーヴィンの絵が数枚飾られています。現在の彼女の関心事は、彼女の着る服や部屋をモノトーン調にする事とギターを弾けるようになる事。パターソンはローラを愛しているので、そんな彼女を静かに見守っています。そんな彼女に捧げる詩もノートに書き留めます。
 パターソンの唯一の楽しみは、愛犬マーヴィンと夜の散歩の途中、馴染みのバーへ立ち寄り、1杯だけビールを飲むこととそこでの馴染みのマスターとユニークな友人たちとの交流。そして帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな型どおりの毎日が1週間続く。そんな映画なのです。
 そして、どのシーンにもパターソンの詩がサントラのようにいつも流れています。たとえばこんな感じ。

Water falls

from the bright air
It falls like hair

Falling across a young girl’s shoulders Water falls

Making pools in the asfalt
Dirty mirrors with clouds and buildings inside

It falls on the roof of my house
Falls on my mother
and on my hair

Most people call it rain



 現在の日本で散文詩は文化として生きているのだろうか?少なくとも私には長らく無縁の存在でした。でもこのジャームッシュの作品を見ていると、静かな毎日に詩が宿る事により、平凡で単調な生活が豊かに思えてきます。毎日スマホに何時間も費やしたり(パターソンはスマホもPCも使いません)週末は刺激のある非日常の「ハレの日」にしないと不安になるような自分の生活が貧しく思えてきます。何か自分は大切なものを長らく失い続けていたのではないだろうかと思い当たりました。その事が、この作品を見終わって数週間経っても気にかかる理由かなと思います。
 最後に事件が起こります。ソファーに置き忘れた詩作ノートを愛犬マーヴィンが修復不可能な状態に散り散りに食いちぎってしまう、意気消沈するパターソン。そんなパターソンの喪失感からの再起のきっかけを作る大切な役柄を、日本人観光客(永瀬正敏)が演じています。詩を愛する者同士は必然的に出会うのでしょうか?日本人の男はパターソンと出会い、別れ際パターソンに一冊のノートをプレゼントします。パターソンはペンを取りこのノートにまた詩を書きはじめるのでしょう。

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