心に残る映画38「オデッセイ」


 宇宙飛行士マーク・ワトニー(マット・デイモン)たち火星探査任務を遂行していたクルーは、大砂嵐に襲われ、ミッションを放棄して火星からの退避を決めて脱出ロケットに乗り込む。けれど、マークだけは砂嵐に巻き込まれ行方不明。クルーたちはマークが死んだと判断して脱出ロケットを発射させてしまう。さらに地球へ帰還するための母船に乗って出発してしまう。
 しかし、マークは生きていた!火星に一人取り残されてしまったことを知った彼は、植物学者としての知識を生かし、火星基地に残されたわずかな物資を使って生き延びようとする。しかし、次の火星探査機が来る予定は4年後。とても食料は足りない。彼はなんと基地に残されていた資材を材料に水、空気、電気を確保し、火星の土とクルーの排泄物をもとに耕作用の土を用意し、ジャガイモの栽培に成功する。NASAもマークが生きていて懸命にサバイバルをしている事を確認し、救出作戦を開始するというストーリーである。


 同じリドリー・スコット監督の「エイリアン: コヴェナント」では未知の惑星に降り立つのに生態系の調査をせずに宇宙服の防御もなく宇宙船から出ていく冒頭のシーンで唖然としてしまったけれど、この「オデッセイ」は、SF映画として素人目にはリアリティがあってしらけず、141分退屈しなかった。
 マット・デイモンは、「インターステラー」でも氷の惑星に一人残される宇宙飛行士役を演じていた。この作品では孤独に耐えきれず、「悪人」になり果てるのだけど、「オデッセイ」との違いは何だろう?多分、「希望」がゼロか僅かでも有るかの違いだろうと思う。人はパンドラの箱が開けられて以来、不幸と災に満ちた現実にあっても、「希望」が有れば生きる事ができるDNAを持っているのだろうと思う。そして「希望」はそこに「有る」のではなく、それを見いだせるかどうかその人の資質によるのではないかと思う。

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