心に残る映画35「めぐりあう時間たち」


 少し前に見た「レスラー」と同じく救いようのない映画だった。そして3人のアカデミー主演賞女優(ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリルストリープ)の迫真の演技もあって、全場面最後まで緊張を強いられる作品だった。最後に救いがあるのではと期待して心のざわつきを我慢しながら最後まで見続けたのだけど、エンディングが一番きつかった。今人生を上手く生きられない人、今人生を挫折し心が折れそうな人、今心を病んでいる人は絶対見ない方がよい。私はいまだに精神的な「異常」を感じ続けている。

 映画の冒頭は、1941年、バージニア・ウルフがコートをはおり、そのポケットに石をつめて自宅近くのウーズ川で入水自殺するシーンが、夫レナードに宛てた遺書の朗読と共にプロローグのような形で始まる。そして以下の三つの物語が本編として始まる。

 1923年 英国 リッチモンド。 ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は、クラリッサ・ダロウェイという中年の上流階級の女性を主人公に、彼女がパーティを開く準備の1日を内容にした小説を執筆中だ。題名は、『ダロウェイ夫人』。夫レナード(スティーヴン・ディレイン)は、2度自殺未遂事件を起こした妻ウルフの心身を案じロンドンからリチモンドに住居を移し、自身も作家でありながら印刷所の仕事でウルフを支えている。神経衰弱を患うヴァージニアと夫レナードの張り詰めた間合いと会話がニコール・キッドマンとスティーヴン・ディレインの見事な演技で展開される。(バージニア・ウルフをあのニコール・キッドマンが演じていたとはいまだに信じられない。

 1951年 ロサンゼルス。ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は、愛読する『ダロウェイ夫人』という小説に自分の姿を重ねる主婦である。お腹に第二子を身ごもっている。ローラはその日、仕事に出かける夫ダンを見送り、夫のバースデーケーキを息子リッチーと共に作ろうとしている。一見幸せそうな家庭、家の中も清潔にかつ完璧に片付いている。だが、彼女の目には何か不安が宿っている。息子リッチーにはそれが分かる。母親が何かを決意し実行しようとしている事をリッチーは感じている。ジュリアン・ムーアの「不安」な心と尋常でない決意を内に秘めた仕草と行動の演技は見る者に緊張を強いる「素晴らしい」演技だが、リッチーを演じた子役の演技力も見事だ。

 2001年 ニューヨーク。この映画は2002年製作だから現在という設定だと思う。クラリッサ・ヴォーン(メリルストリープ)は、ダロウェイ夫人と同じ名前(クラリッサ)なので、それをあだ名にされ、ダロウェイ夫人と仲間うちではからかわれる。彼女はレズビアンで恋人と同居し、その事を公にして普通に暮らしている。人工授精で生んだ娘も同じアパートに住んでいる。そして彼女は、エイズ患者でかつての恋人リチャード(エド・ハリス)の身の回りの世話をもう何年も続けている。
 その日はリチャードの小説がとある文学賞を受賞し、授賞式とその後のパーティーの日。朝クラリッサはリチャードのアパートを訪ねるが、授賞式とパーティーの事で言い争いになる。見ていて痛々しい。夕刻、クラリッサはリチャードを迎えにいく。そして彼女の目の前でリチャードは窓から身を投げ自殺する。こんな物語なのだ。
 加えて衝撃的なのは、リチャードの死を疎遠になっていたリチャードの母に伝えたクラリッサ、彼女のアパートに、リチャードが「怪物」と呼んだ母が現れるシーン。その母とはなんとローラ・ブラウンだった。ローラは第二子を生んだ直後、リッチー(リチャード)と生まれたばかりの妹を残し一人カナダに出奔していたことがローラの口から語られる。
 この作品、色んな名場面があるのだが、最後にリチャードとクラリッッサの言葉を記しておこう。とても切ない。幸せな時は、そのときは気づかず、あっという間に過ぎ去り戻ってこない。

リチャードの言葉(朝、クラリッサが訪ねて来た時)
「始まりに比べ 終わりは虚しすぎる。 海岸で君は僕にキスをした。覚えているかい、もう遙かな昔」
エド・ハリスの演技も鬼気迫る。

クラリッサの言葉(娘に語る言葉)
「”人生で最も幸せだった瞬間はいつか”覚えているわ。ある朝夜明けに目覚めた時、限りない可能性を感じたの。心の中で思ったわ。”そうよ、これが幸せの始まりなのね、この先もっと幸せが訪れるんだわ”でも違った。始まりではなかった。あれこそが幸せだった。あの瞬間こそが幸せそのもの」

 人間には、それぞれそうとしか生きようのない人生があるのかもしれない。でも幸せに生きる資格だってあるんじゃないのかとため息をついてしまう。

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