心に残る映画30「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」


 題名からして芸術的で、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞の4冠を受賞した作品であり、高踏的でとっつきにくい作品かと思いきや、見ていて最後までぐいぐいと引っ張ってくれる力作でした。
 かつてハリウッド映画『バードマン』で一世を風靡した俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、その後は出演作に恵まれず、ブロードウェイで再起を目指しています。レイモンドカーヴァー原作「愛について語るときに我々の語ること」を自ら脚色し、資金も捻出した舞台で再起を懸けています。映画では、この舞台劇のプレビューが劇中劇として繰り返し描かれ、平行して舞台裏でのリーガンとそのほかの舞台俳優たちとの絡みとリーガンの私生活がノンストップでスピーディーにそしてスリリングに時にコミカルに時にシリアスに描かれます。


 この作品、色んな評価や解釈、特にラストの病室でのシーンを巡っての解釈がなされていますが、私は解釈を放棄して、印象に残っているシーンというかセリフをここでは記録しておきます。
 最初に紹介するのは、映画の冒頭でクレジットとして流れ、最後にリーガンのセリフとして?使われたレイモンド・カーヴァーの「おしまいの断片(Late Fragment)」という作品の一節です。カーヴァーの墓碑銘として刻まれてもいるらしい。
And did you get what
you wanted from this life, even so?
I did.
And what did you want?
To call myself beloved, to feel myself
beloved on the earth.


字幕ではこんな訳になっています。
「たとえそれでもきみはやっぱり思うのかな、 この人生における望みは果たしたと?」
「果たしたとも」
「それで、君はいったい何を望んだのだろう。」
「自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって、愛されるものと感じること」


 次に紹介したいのは、降板した俳優の代役としてやって来たマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)のセリフ。彼はブロードウェイで輝かしいキャリアを持つ舞台俳優、彼が出演するということで今回の公演チケットが完売となるほど。エキセントリックで傲慢、奔放、「舞台でならなんでも出来る」という自信過剰なマイクなのだけど、実生活ではインポテンツという役柄。その彼が、公演の打ち切りまで決まってしまうほど影響力のあるタビサという辛辣な舞台評論家にとあるバーで出会い、彼女にこう言い放ちます。

「 芸術家になれない者が批評家になる。」
タビサは口を閉ざして反論出来ない。


 次に元妻シルヴィア(エイミー・ライアン)がリーガンに言うセリフ。
「あなたは褒められるのが愛だと思っているのね 」

 リーガンは誰かから褒められ、求められ、注目されることこそ人生で一番価値あるものだと思っていた、その彼が元妻の言葉をきっかけに変わっていきます。最後に、生まれ変わったバードマン(リーガン)は、他人からの評価から解放され自由に大空に飛び立つことが出来たのだと思います。
 そして娘のサム(エマ・ストーン)。薬物のリハビリ施設から出たばかりのサムは、父リーガンと何かにつけ衝突するのですが、マイクとの「真実or挑戦」ゲームで心が和んでいく。
(サム)真実か、挑戦か? 
(マイク)真実。
(サム)私とやりたい?
(マイク)いや。
(サム)どうして?
(マイク)インポが心配だから。
(サム)インポじゃなかったら、私に何したい?
(マイク)目玉をくりぬいて。
(サム)ステキ。
(マイク)俺の目にするよ。その若さに戻って、通りを眺めてみたい。

 そしてラストの病室でのシーン、父リーガンにライラックの花束を渡したサムには、生まれ変わった父親(バードマン)が見えたのだと思います。


 長くなったので、ここでやめますが、売れない女優レズリー役をひたむきに演じたナオミ・ワッツも強く印象に残りました。そしてリーガンの恋人を演じたアンドレア・ライズブロー、トムクルーズの「オブリビオン」に出てた女優さんですが、こんな役もこなすんだと思いましたが、この映画の中で私的には一番魅力的な女優さんに思えました。

 それまでのバットパンのイメージを一新したマイケルキートン主演の「バットマン」を見たのはついこのあいだのように思えるのだけど、調べてみると1989年公開。若々しかったブルース・ウェインも26年経つとあんな風になるのかと感慨深い。自分の顔を鏡に映してそのしみとしわを見てなおさらその思いを強くした。若き日の目を取り戻して通りを眺めてみたい。

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