心に残る映画21「昔々、アナトリアで」


 監督は、トルコ人のヌリ・ビルゲ・ジェイラン。この作品は、2011年カンヌ国際映画祭審査員グランプリ受賞作品である。そしてこの監督、同じく2014年のカンヌ国際映画祭で『Winter Sleep』という作品でパルムドールを受賞しており、名匠と言われる監督らしいが、私はこの作品を見るまで全く知らなかった。ただこの作品評判が良いのは知っていていつか見ようと思っていたのだが、2時間40分という長尺の作品なので躊躇していた。


 見終わって不思議に思うのは、見ている間心動かされるわけではないのだけど目が離せなくて最後まで見てしまう、そして見終わってしばらくたつと私の場合「感動した」作品ですら記憶の中から消えていくのだけどこの作品は見終わった後もずっと心に残っているのである。不思議な作品である。


 映画は4部構成になっていて、まず短い冒頭部があります。3人の男が深夜飲み食いしながら談笑している。その一人が飼い犬の鳴き声を不審に思い外に出る。なんとなく不吉な雰囲気。
 そして場面は変わり、夕暮れの草原を3台の車がライトを点け走ってくる。車から連れ出された殺人死体遺棄の容疑者。彼の記憶は曖昧で、死体は見つからない。死体捜索は難航し、警部、検察官、検死のための医者、記録係、軍警察や発掘人といった一行は広大な草原(アナトリア地方)を転々と移動するはめになり、疲労とイライラを募らせる。
 そしてとある村の村長宅で夕食休憩をとることとなる。ここでの幻想的なシーンが印象的です。
 そして4つめの場面は、翌朝、死体を発見し、街に戻ってからの医者と検事を中心に、検死を巡るストーリーが進む。そして医師の意外な行動。


 この四つのストーリー展開においてサスペンスの体裁は取られているのに、何も真実は明らかにされないので、見る者も最初はイライラするだろう。ただその背景画となるアナトリアの風景は美しい(風景だけでなくこの監督の作る映像には心惹かれる何かがある)。
 アナトリアはカッパドキアなどの世界遺産である奇観で知られるが、あえてそういった風景は排除して、ゆるやかな草原がこまでも続き、道がくねくねと曲がり延びて行く風 景を映画に取り入れている。独特な映像美がそこにある。掴み所のない人間の心のようだ。それでいて美しい。その美しさに見入ってしまって進展のないイライラ感も忘れてしまう。

 映画を見ていて、観客は早々にどうもこの映画は謎解きの映画ではないなと気づく。映画ではなく舞台劇を見るようだと私は思った。幕が上がると、メインキャスト4人は同時に登場する。現実には考えられないような登場の仕方だ。そこが映画的ではないところだ。日が暮れてからの死体捜索のために警察だけじゃなく、検察官、検死の医師、そして容疑者が同行する無理な設定なのだ。そしてセリフのやりとりは事件の謎を追うことに重きが置かれず、そこでは登場人物の内面の複雑な思いが語られる。
 そして語られる人間のメインキャストは4人。まず警部、彼の子供は精神的に問題があり、それが夫婦間のいざこざになっており、彼は妻との関係に疲れきっている。


 そして検察官、友人の妻の話だとしているが彼の妻の話と分かる。非常に美しい女性が子供を産んだあと、自分は死ぬと予告し、そのとおり変死する。それを聞いた外科医はその死は自殺なのではないかと問いかける。外科医は自殺する人間の動機は他人に対する復讐なのだ、と静かに語る。


 外科医自身も離婚しており、若き日幸せだった頃の妻と一緒に写った写真を何枚も手元において眺めている。


 最後は容疑者の男、殺された男の息子は、本当は容疑者の息子だというのだ。事件の日に、酒の酔いにまかせて、その事実を口走ったため口論となり誤って殺してしまう。DVDを見直すと分かるのだが、冒頭のシーンで仲良く談笑しているのが、容疑者と被害者そして容疑者の智恵遅れの弟なのだ。



 4人に共通するのは(私にも共通するのだが)、「女性を幸せにできない男たち」なのだ。関わることにより不幸にさせてしまう男たち。彼らにとって、村長宅で目撃した村長の娘は無垢でほんとうに美しい。その美しさと対称的に容疑者の男のかつての恋人(被害者の妻)が後半登場するが、その厳しい表情に「幸せ」は見えない。かつて彼女も無垢で美しかったはずなのに。



 ここまで書いてきて何故この映画が私の心に長く残るのか分かる気がした。ただ、登場人物の一人のこんな独白も思い出す。「100年足らずで、皆、消えていなくなる。こんな詩がある。“なおも時は過ぎ、私の痕跡は消え失せる。闇と冷気が、疲れた魂を包むだろう。

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