心に残る映画15 「蜩ノ記」「柘榴坂の仇討」


 時代劇が好きである。最近映画館で映画を見る機会は少ないが、時代劇が公開されると意識して見に行くようにしている。最近見た作品は、「るろうに剣心/京都大火編」「るろうに剣心/伝説の最後最後編」そして「蜩ノ記」「柘榴坂の仇討」。
 何故好きか?るろうに剣心でいうとそのアクションにワクワクする。ハリウッド映画のど派手な物量そしてCGアクションと違う殺陣に魅了される。剣心の殺陣はあの黒沢映画の「用心棒」「椿三十郎」以来の驚きだった。
 そして「蜩ノ記」と「柘榴坂の仇討」。清貧に誠実にひたむきにそして美しく生きることの正しさを教えてくれる系譜が時代劇にはあるように思う。そう生きるように自分を律してくれるものがそこにある。

 「蜩ノ記」は、葉室麟の直木賞受賞作を黒沢明の愛弟子小泉堯史監督(「雨あがる」「博士の愛した数式」)がメガホンを取った作品である。あらすじは以下のとおり。

 郡奉行から江戸表の中老格の用人となった戸田秋谷(役所広司)は藩主の側室お由の方(寺島しのぶ)との不義密通を理由に10年後の切腹とそれまでの間に藩の歴史である藩主・三浦家の家譜を編さんし完成させるよう命じられる。その間、かつて自身の所領だった村に幽閉される。そして7年の月日が経過していた。
 檀野庄三郎(岡田准一)は、城内で刃傷沙汰を起こしてしまったが、家老・中根兵右衛門の計らいにより切腹を免れ、幽閉中の秋谷の監視役を命じられる。表向きは秋谷が切腹を前にして妻子と共に藩外に逃亡しないよう監視せよということだったが、監視の本当の意図は、藩の秘め事を知る秋谷が7年前の事件を家譜にどう書くか報告することだった。
 秋谷と接して、庄三郎はその人となりに感銘を受ける。切腹が迫りつつも家譜編さんに誠実に向き合い、来る日一日を賢明にそして大切に生きる彼の姿を身近に見るにつけ、彼の人間性に魅せられてもいく。
 やがて庄三郎は不義密通事件の真相に辿り着くが、それは藩の存亡にもかかわるものであった。秋谷は前藩主と藩の存亡を想い不実の罪を一身に引き受けていたのだった、、、。


 真相が明らかになり、「悪者」を懲らしめた後も、秋谷は切腹を受け入れ定められた日に家族に「笑顔」を見せ、美しい農村風景のなか死地に赴く。その笑顔は残された者の悲しみをいくらかでも癒す秋谷の配慮でもある。牢問死した百姓の息子源吉の笑い顔が重なる。
 秋谷は死を前にして自ら完成させた家譜について、「歴史は人を映す鏡だ」と庄三郎に語る。この言葉に庄三郎は、「美しく鏡に映るように生きたいと思います」と返す。主人公の二人の生き方は美しい。譲れないものを貫き、なすべき事を全うし、家族そして縁者を守り思い遣る。そのように自分も生きたいと思う。そう思う故に美しく生きた人が理不尽な咎のために死なねばならないのがやはり腑に落ちない。原作に現代的な工夫があってもいいのではと思ってしまう。


 お由の方に「生きよ」と諭したのは秋谷ではなかったのかと思う。松吟尼となった今も「あのように美しい景色を目にいたしますと、自らと縁のあるひともこの景色を眺めているのではないか、と思うだけで心がなごむものです。生きていく支えとは、そのようなものだと思うております」と話しているではないか。

 生き方の美しさ、人物の所作の美しさ、そして時代風景の美しさと明るさに感動しながら劇場を出たのですが、腑に落ちないものも残っていたのも事実。そして翌週やはり映画館で見た作品が同じく時代劇の「柘榴坂の仇討」。


 「柘榴坂の仇討」も武士誇り・矜持を描いた作品ですが、この作品の良いところは、仇討映画なのに誰も死なず、ほんのりと温かい幸せな結末であること。そしてその結末が無理なくむしろそれしかない結末だと観る者を納得させてくれるところ。さすが浅田次郎さんの原作である。
 物語は、安政7年の桜田門外の変を背景としている。この事件で、彦根藩は六十名の供侍を備えながら、わずか十八名の刺客にさんざ斬り立てられ、あげくに主君井伊直弼(中村吉右衛門)は殺される。
主君を守れず本来切腹すべきところ、それも許されず、「水戸者の首級のひとつも挙げてご墓前に供えよ」と仇討の密命を受ける志村金吾(中井貴一)と井伊直弼の首級をあげた直後、切腹しようとしたが襲撃の際志村の反撃による肩の傷のため自刃を果たせなかった水戸浪士・佐橋十兵衛(阿部寛)の物語である。
 原作は短編ですが、映画ではこの二人を取り巻く人たち(志村金吾の妻セツ(広末涼子)や長屋の母子、主君井伊直弼たち)も丁寧に情愛深い視点で描いています。

 13年という時を経て、時代も明治と変わるなか、時代に取り残された二人が雪の柘榴坂で相対する。佐橋十兵衛は車夫となり名前も直吉と改めている。この作品では終始「死」という緊迫感が主人公の二人の演技から感じられ映像自体もモノクロトーンで暗いのだけれど、13年間「死」と向き合いひたむき生き最後に行きついたのが、武士の本懐ではなく人としての本懐というところが仄かに明るく温かいものがあり、感動します。

 仇討のシーン。再び刃を合わせる二人ですが、自刃しようとする佐橋十兵衛、彼の脇には風雪に耐えながらも凛として赤く咲く雪中の椿が見えます。彼に体をぶつけた志村金吾が言います。
「おぬし、この椿の垣根の脇に座り続けていたのか」
「おぬしこそ、桜田御門のワタ雪の中にずっと立ちつくしていたのか」
「生きてはくれまいか どうかそなたも、この垣根を越えてくれまいか。わしもそうするゆえ」

 両作品とも本編が終了し、エンドロールも終了し館内が明るくなるまで、観客は少なかったのですが、席を立つ人は一人もいなかった。美しく誠実にひたむきにそして情愛深く生きることの大切さ正しさを皆さん改めて思い、感動していたのだと思います。感動したように現実の場面でも生きたいと自省させられる、いや応援してくれる作品でした。


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