心に残る映画14 「あなたになら言える秘密のこと」


 「あなたになら言える秘密のこと」という作品を見るに至った経緯をまずお話ししよう。導かれるようにして出会った作品である。偶然が重なり因縁めいているのだけど、その出会いは「必然」だったのかもしれないと思える。
 映画好きの友人がいて、彼は必ず原題で作品名を知らせて見るように薦めてくれる。薦めてくれたのは、「The Secret Life of 〜」という作品だった。私はいつものように、Googleで「The Secret Life of 映画」と検索した。原題が長いとその一部を入力し、空白を入れて”映画”と入力することで該当の作品の邦題が検索できるわけだ。そしてその検索結果が、「あなたになら言える秘密のこと」という作品だった。


 あらすじを調べてみると、「工場で働くハンナ(サラ・ポーリー)は誰とも交わらず心を閉ざしている。明らかに心に傷を持つ女性。ある日、働き過ぎを理由に工場長から強引に1か月の休暇を言い渡される。小旅行に出かけた彼女は看護師を探していた男に声をかけられ、2週間の油田掘削所での仕事を引き受ける。彼女の仕事は事故で火傷を負い、重傷の男ジョセフ(ティム・ロビンス)の世話をすることだった。ジョセフにも事故にまつわる人に言えない秘密があった、、、。」というもの。
 ちょっと重い作品だなと思って見るのを先延ばししていたのだけど、この作品を薦めてくれた友人と会って話をしているとなんか変だぞと気が付いた。彼が薦めてくれた本当の作品は、「The Secret Life of Walter Mitty」邦題が「Life!」という作品だった。日本では2014年に公開された作品であり、この時期推薦してくれるのも納得できる。
 私が巡り合った「あなたになら言える秘密のこと」の原題は「The Secret Life of Words」であった。2005年制作のスペイン映画で、2007年に日本でも公開されているがあまり評判にもならなかった。偶然と勘違いの検索がなければ決して出会わなかった作品である。


 「あなたになら言える秘密のこと」という作品のストーリーを少し詳しく追うと、ハンナは黙々とジョセフを看護します。火傷で一時的に目が見えなくなっているジョセフには、ハンナの抱えている心の傷が却ってよく見えたのかもしれません。「自分の過去、現在について一切話したくない、趣味とか夢などなくて誰とも親しくなりたくない、名前さえ言いたくない」そんな無味乾燥で孤独な彼女の、たぶん何かから逃れたいという想いをジョセフは読み取ります。
 ジョセフはハンナにコーラという呼び名を付けて、ユーモアと優しさを交えた会話でハンナに話しかけ、彼女の閉じた心の扉を開こうとします。また、掘削所で働くコックのサイモンや海洋学者のマーティン、そして責任者のディミトリとの孤独者同士の触れ合いでも少しづつハンナの心は癒され開かれていきます。

 ジョセフ:「実は僕は泳げないんだ」
 ハンナ :「海で仕事をしているのに」

 といった会話でハンナは初めて笑顔を見せます。この後、「相手の秘密を一つ知りたければ、自分の秘密を一つ教える」というルールをジョセフは勝手に作ります。そして彼の秘密を語るのです。ハンナは「火事の時、ある男が火の中に飛び込んで自殺したが、ジョセフは彼を助けようとして重傷を負った」と聞かされていましたが、ジョセフから衝撃の真実を聞かされます。(以下ネタバレになるので、自分で確認したい人は読まないでください。)


 ジェセフ:「人にはしてはならないことがある。親友の妻と恋に落ちてはならない。何よりそのことを友人に告げてはならない。」

   ジョセフは、「人は過去を、つらい友の死をどう背負えばいい?」とハンナに教えて欲しいと涙を浮かべて訴えます。

 ジョセフが本土の病院に搬送される前日、ハンナも自分の過去を語り始めます。クロアチア人の彼女は、内戦が始まった時、看護学校から親友と一緒に故郷の近くまで戻って来て、同じ言葉を話すクロアチア兵によって捕らえられホテルに連れ込まれ、何日もレイプされ続けます。国連の平和維持軍が来ても同じだった。レイプ・拷問の末食料が尽きると、彼女の親友や多くの女性子供までがハンナの前で殺されます。実はハンナ自身も体中にナイフで傷をつけられ塩をすりこまれたのです。ジョセフは、服を脱いだハンナの全身に残る傷跡に触れることで、我々観客はそのシーンを見ることで、打ちのめされます。

 ジョセフとハンナがそれぞれの秘密を語るシーンでは、回想シーンやカットバックは一切使われません。ジョセフを演じるティム・ロビンスとハンナを演じるサラ・ポーリーの言葉によって語られます。その監督の演出力と二人の演技に脱帽です。二人は「秘密」を語ることにより、加害者と被害者という立場は違う二人だけど、自分だけが生き残ったという事実とそれへの深い「後悔」と「恥」の想いを共有していることに気づきます。


 でもハンナはジョセフの元を離れます。病院に搬送され本格的な治療を受け回復したジョセフは、当然ハンナを探します。ハンナのカウンセラーには「彼女に必要なのは一人になることよ」とハンナに会うことをジョセフは止められ、彼の行動は「ロマンティックなこと」だと批判もされます。でも結局ジョセフは、ハンナの元を訪れます。出会った二人の会話のシーン、とても好きな良いシーンです。

 ジョセフ:「どこかへ行って一緒に暮らそう」

 ハンナ :「いつか、それは今日ではないけれど、もしも一緒に暮らしたら、それは明日ではないけれど、突然私は泣き出すだろう。そして、私の部屋は涙の海になる。私は息も出来ない。あなたも水中に引き入れてしまって、二人は溺れ死ぬだけよ」

 ジョセフ:「泳ぎを練習するよ、きっと泳いでみせる」

 その後の最終シーンだけは秘密にしますが、ジョセフの「ロマンティック」な言葉がハンナの心を動かしたのだと思います。


 私は映画を観るとき、自分の人生と重ね合わせて観ることがほとんどです。感情移入して見てしまう。ただこの作品に描かれているハンナとジョセフの人生はあまりに過酷で観ている時はただその語られる過酷な体験に向き合うことが精一杯で、感情移入することはきなかった。結果、心が同期して心が震えるという種類の感動はなかった。

 しかし、映画を見終わってしばらくその内容を反芻していて、私は、ハンナそしてジョセフが抱えていた「秘密」を、形は違うけれど自分も(たぶん皆さんも)抱えていることに気づいた。そういう意味でこの作品との出会いは必然だったのかもしれない。

 私の「秘密」は、あの日あの時の過酷な事件ではなく、長年人生を歩んできた中で積み重なった「恥」あるいは「後悔」のようなもの。60歳を過ぎると「死」を以前より身近に具体に感じるようになる。深夜.ふと目を覚ますと、罪のない人生だったのだろうか?と私は内省的になる。「恥」多き人生だったなとその後悔に眠れなくなることもある。

 少年の頃抱いた夢はいつしか果たせないまま消え、自分と素直に向き合う努力を投げ出し、世間や現実と無難に折り合いを付けてきた人生ではなかったか?愛する人を幸せにできたのだろうか?自分を正当化する刹那的な言動が友人知人を傷つけなかっただろうか?数え上げればきりがない。人生を振り返れば「恥」と「後悔」が芥のように積み重なっている。具体的な事象はとても他人には言えない「秘密」だ。


 そういった「秘密」を話せる人に出会うことを「幸せ」というのだろう。ジョセフとハンナは幸せになれた。でも最終シーン、幸せになれたハンナを監督コイシェは描いているが、100%のハッピーエンドとはしてはいない。観客にも少しだけ不安の種をの残す。
 私の感じた不安は、、、。ハンナは幼い子供と一緒にお風呂に入るだろう。あの体の傷は子供たちの記憶に残るだろう。成長した子供たちは疑問に思うだろう。その時、どうハンナはそしてジョセフはその事実を子供たちに説明するのだろう?カウンセラーが「ロマンティックね」と冷静に言った意味がここにあるのだろうと思う。どう戦争という悲劇そして歴史を語り継ぐべきなのだろうというこの映画の持つもうひとつの側面を観客は思い知るのである。

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