心に残る映画6 「別離」


 今回紹介するのは、イラン映画界の新鋭アスガー・ファハルディ監督作品「別離」。一言で内容を紹介すると、認知症を発症した父親の介護を発端に夫婦の思いが交錯する、そして事件が、、。シリアスな内容の映画ですが、両親の介護をしている私にとって印象に残り、考えさせる作品でした。というわけで非常に個人的想いで選んだ作品なので皆さんに紹介するのはどうかなと思ったのだけど、この作品は第84回アカデミー賞外国語映画賞、第61回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞していて世評も高いので一見の価値はあると思います。



 作品の内容をWEB上の紹介記事を参考にそのストーリーを紹介すると以下のとおり。
 夫ナデル(ペイマン・モアディ)と妻シミン(レイラ・ハタミ)夫婦の離婚調停の場面から映画は始まる。中学生の一人娘テルメー(サリナ・ファルハディ)の将来を案じ国外移住を計画し、1年半かけて許可を得た彼らだったが、同居しているナデルの父がアルツハイマー病を患ったことにより、夫婦の思いに亀裂が入る。介護の必要な父を残して国を出ることはできないと主張するナデルと、たとえ離婚してでも国外移住を希望するシミン。その経緯が調停の場面で明らかになっていく。

 協議は物別れとなり、それを機にシミンは、一人実家で過ごすこととなる。そこで、ナデルは家事と父の介護のために、ラジエーという女性を雇う(認知症の両親を抱える私は、日本の介護保険制度の有り難さをしみじみと感じる)。ラジエーは夫が失業中のため家計費をかせぐため娘を連れて健気に働こうとしたのだが、そのことを夫には内緒にしている。しかし、ナデルの父の認知症は進行しており、失禁する場面を目にしてラジエーは激しく動揺する、、、。

 そんなある日、ナデルとテルメーが帰宅するとラジエーの姿はなく、ベッドに手を縛りつけられた父が倒れ、気絶しているところを発見。ラジエーはほどなくして戻ってくるが、この事態に冷静さを失ったナデル事情を詳しく聞かずラジエーを責める。ラジエーも外出した理由を弁明しない。そのうえナデルは、ラジエーが家に置いていた金を盗んだと言い、侮辱されたラジエーは強く否定。その押し問答のすえ、ナデルはラジエーを手荒く追い出す。

 その夜、ラジエーが病院に入院したことを知ったナデルは、シミンと一緒に様子を見に行き、彼女が流産したことを聞かされる。その後のラジエーの夫の怒りの爆発。これにより、ナデルは19週目の胎児を殺した"殺人罪"で告訴されてしまう。一方、ナデルもラジエーが父に行った行為に関して彼女を告訴。裁判は次第に多くの人々を巻き込み、それぞれの思いが交錯、複雑に絡み合ってゆく……。殺人罪の裁判の結末は、、、。離婚調停の結末は、、。



 長々とストーリーを書きましたが、このストーリーには最後に明かされる隠された事実と伏線の場面を隠しています。悪意のない嘘や秘密そして宗教上の禁忌によってこんがらがってしまった事態を最後の場面まで緊張感を持って持続させ、最後にそうだったのかと納得させる監督の力量には脱帽させられます。2時間を超え、テーマ自体も重い作品なのですが一瞬たりとも目を話せない。

 目が離せないのは、たぶん事態(両親の介護、夫婦関係)を我が身に置き換えストーリー展開に自問自答しているからだろうと思います。イスラムの世界に生きる人だってキリスト教あるいは仏教徒だって人間の抱える問題そして思いは一緒なのだ、だから我が身に置き換え自問自答する。何に自問自答するかというと、「人間ってなぜ理解し合えないのだろう、たとえ家族であっても」という哀しい事実に自問自答する。

 真相が明らかにされ(一点最後まで真相を伏せられる事実があるのだが)思ったのは、この映画に悪人は登場しないということ。悪意は誰も持っていないということ。ラジエーの粗暴な夫だって妻子を愛するゆえに必死に生きているのだ、私には身勝手なと思われたシミンも実は娘そして夫を愛しているのだ。でも理解し合えない、夫婦であっても。どうしてなんだろうと自問自答する。たぶん愚かであろうこの大人の自問自答を子供たちは冷静に澄んだ目で見ていると気づかされます。



 この紹介記事を書いている時、NHKのBS放送で「永遠のオードリー」という番組が放送されていて興味深く見ました。美しい人は心もそして生き方も美しいのだと改めて思いました。番組の最後、死の床にあったオードリーが、クリスマス・イブに二人の息子を枕元に呼び朗読した詩の紹介がありました。とても心に残る詩だったので紹介しておきます。



魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。

愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。

スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。

豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。

美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。

物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、

失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、

何度でも再出発することができます。

誰も決して見捨ててはいけません。

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に

助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。

ひとつの手は、自分自身を助けるため、

もうひとつの手は他者を助けるために。


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