松山シネウエイヴは、1988年1月、当時高校1年生だった稲田豊君が設立した、自主上映団体であった。
「観たい映画を観たい」
「それがいい映画ならみんなに観せたい」
「みんなで観よう」
稲田豊は、このシンプルなコンセプトのもと、5年間に合計24作品を上映し、21年の人生を疾走してしまった。
松山シネウエイヴそして稲田君が、我々の前にセンセーショナルに現れたのは、1988年6月のことだった。愛媛県内で初めて「ゆきゆきて、神軍」(原一男監督)を上映・成功させたのである。
松山シネウエイヴを語ることは、すなわち稲田豊を語ることであろう。ここに彼の略歴を記す。
稲田豊略歴
1971年7月13日
- 松山に生まれる
1985年6月
- 「松山情報シネクラブ」設立
1987年4月
- 私立新田高校入学
1988年11月
- 「松山情報シネクラブ」を「松山シネウエイヴ」に改名
1990年4月
- 日本映画学校(映像科演出脚本コース)に入学
在学中、歌舞伎町シネマにてアルバイト
1993年5月
- 川崎チネチッタ入社
1993年6月25日
- 21才にて急逝
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