高山集会所の駐車場に車を止めさせてもらった。登山口近くは道路が狭く路肩駐車ができず困っていて、近所の人にお願いすると、「集会所だから自由に使っていいよ」と親切に言っていただいた。正面の路地を直進する。 | 突き当りは右折 |
するとすぐ「左城山」の道標がある。かつて雄甲山頂上には河野氏の出城があったと思われる。 | 二つの民家の間の路地を山側に登る |
突き当りの石垣まで登ると | 「右城山」の道標がある。杖が何本か置いてあった。 |
竹林を右手にみながら登る | 「左城山」の道標を曲がると |
自然林の明るい登山道が鞍部まで続く | 鞍部に到着、集会所から15分くらい。右が雄甲山、左が雌甲山 |
雄甲山に続く快適な尾根道 | 最後はちょっと急坂 |
この日は寒くて頂上近くには雪が残っていた | 雄甲山三角点239m |
かつて出城のあった頂上には祠があった。 |
頂上から松山市沖の興居島方向を望む |
頂上から旧北条市の沖にある鹿島方向を望む |
頂上の先を探検 | 雪を被った石碑があったので雪を拭うと字がくっきり現れてきた |
鞍部まで戻り、雌甲山方面に進む | 雌甲山頂上直下の巨石 |
雌甲山の頂上にある「役行者像」とその縁起。縁起には以下の記載があった。 「中世、文武両道に優れた伊予の豪族河野氏の発祥の地善応寺は、建武2年(1335年)通盛公が土居の館に七堂伽藍、十三の塔頭を建立し善応の里と改めて、五山の一つ此、女甲山に役行者の像を小さき石に刻み、眼下の仏塔を見守る如く龍中に安置したとの伝えが残っている。 道後の湯築城へ建武年間(1334〜1337年)に移るまで道盛公の居城であったと。 天正13年(1584年)豊臣の天下統一により湯築城は開城、善応の里の仏閣も一朝の灰塵に。 河野氏滅亡後は、村人たちは代々、上石丸、城木家を宿として役行者を青葉の薫る五月八日にお山講としてお祭りし今に至るも、河野氏の遺徳を忍んでいる」 |
雌高山からの眺望1、雌甲山からの眺望は素晴らしい。北方向 |
雌甲山からの眺望2、少し西にカメラを動かした |
雌甲山からの眺望3、西の鹿島方向 |
雌甲山頂上からの眺望4、西南方向 |
雌甲山頂上からの眺望5、南方向 |
雌甲山頂上からの眺望6、東方向。高縄山 |
下山時に見つけた水仙の花 | 下山後、河野氏ゆかりの善応寺の寄ってみた |
善応寺に咲いていた白梅 | そして紅梅 |
近くのカフェ夢うらら、薪ストーブで暖まる | ベランダからは北条の海が見渡せる |