大台ケ原 日出ケ岳1691.5m


 年間降雨量5000mmという世界有数の雨水量を誇る大台ケ原は、多量の雨が湿潤な気象条件を生み出し、南の島屋久島と並ぶ我国を代表する原生林を形成。モスフォーレストと呼ばれるコケの多い林や壮大で水量豊かな渓流と滝などを生み出している。正木ヶ原や大蛇ぐらに代表されるほかでは類の無い自然の造形を見ることができる。未開の原生林は、野生動植物の宝庫となっており、カモシカをはじめ日本鹿や珍しい植物を四季を通じて観察することができる。
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図で言うと、駐車場の左上隅が登山口、2〜4〜5〜6〜8〜7〜1の順で歩いた。

大台ケ原ビジターセンター、ここで登山計画書を提出して、センター脇にある登山口から登山開始。登山口、雨模様。
登山道が泉状態になっている。晴れていたら熊野灘が見える展望所、残念ながら真っ白。
日出ケ岳へ向かう階段、風雨が強くなってきたので、これ以降は防水機能のあるスマホカメラで主に撮影。 日出ケ岳頂上に立つ展望所が見えてきた。風雨はさらに強まる。
図A日出ケ岳1695.1m。標高1400mから1600mの複数の山と、これらの山に囲まれた東西5 kmほどの台地状の地帯が大台ヶ原と呼ばれているが、その最高点が日出ケ岳。正木峠へ向かう立派な木道
展望デッキ、ここも視界はゼロ整備された登山道というか散策道
図C正木ケ原
図E牛石ケ原付近

昔このあたりにいた牛鬼という怪物を、高僧がとらえてこの石の下に封じ込めたそうで、この牛石を叩くと大雨になるといわれているようです。牛石を叩いていないのだけど雨が本降りになってきた。
図E神武天皇像

神武像は2メートルを越す長身で、本体重量45トン。金鵄(きんし)と弓が68キロ、太刀83キロ、製造は大阪市の大谷鋳造所だ。銅像は6分割され、三重県の尾鷲(おわせ)から30人の労務者の人力で運び上げられたという。像の除幕式は昭和3(1928)年。
 建設を推進したのは、神道系の神習教(しんしゅうきょう)福寿大台教会を創立した古川嵩(かさむ)教長。古川嵩は、明治23(1890)年の夏に98日間、翌24年の12月から3か月間、単身大台ケ原に入り荒行を積んで地元の信頼を勝ち取り、同32年には大台教会を完成させたという。
 彼の教えは、「人は素直に大自然に教えを乞い、大自然とともに生きる」というのが基本だ。彼は、神武天皇が九州から大和への東征において熊野から大台ケ原を越えたとすれば、天皇こそがこの地の開山者であり、天皇が腰掛けたと伝わる「御輿石(みこしいし)」に銅像を建設するのがふさわしいと考えたのだ。
図D写真奥に見える石が牛石と思われる。大蛇ー(だいじゃぐら)への分岐
大蛇ー手前の鉄板の橋図G大蛇ー(だいじゃぐら)、霧だ視界ゼロだったが、、、
図G幸運にも一瞬霧が晴れて視界が広がった。
シオカラ谷へ降りていく急坂、両側はシャクナゲの群落。花の時期は素晴らしいのだろう少し緩斜面になるが、石がごろごろ。
図Fシオカラ吊り橋シオカラ谷、急坂を一気に下ってきたので、ここから登山口までは急坂が続く予感がした。
予感的中で吊り橋からここまでは結構な急坂が続いた。登山口のある大きな駐車場、平日で大雨だったがバス数台と乗用車が5〜6台とまっていた。
心・湯治館という宿泊施設。この奥に「苔のみち」があるので行ってみた。 図@苔みち、わざわざ行くほどの散策路ではなかった。
下山後、大台ケ原ドライブウェイから見た絶景1。明日登る大峰山が見えると思うのだが。
下山後、大台ケ原ドライブウェイから見た絶景2

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