日吉谷の登山口手前の道路のふくらみに車を止めて歩く。山頂直下まで車も通れる林道歩きのコースもあるけれど、それではつまらないので鉄塔巡視路の山道コースを歩く。 | コンクリートの目立たない橋の近くに登山口がある。 |
整備された登山道。 | 稜線に出た。 |
快適で明るい尾根道を歩く。 | 衣掛山手前の鉄塔 |
岩伽藍山にはこの辺りの豪族和田氏の城があり四方に支城があった。その一つ衣掛城のあったピークに向かう。 | 衣掛山463m、ここで少し休憩。 ここには、かつての豪族和田氏によって築かれた岩伽羅城の支城があった。築城年代は不明だが、和田氏が滅んだ後天正年間(1573年〜1592年)には日吉六郎右衛門(左衛門とも)が守っていたと伝えられる。 |
自然林の快適な登山道、岩伽藍山が見えてきた | 一転、植林地帯の稜線を歩く |
三等三角点534mがあった。 | 猪のぬた場 |
植林の上が明るいので岩伽藍山頂上と思ったけれど山頂は地図では向かって左側のもう少し高いピークだ。 | 回り込んで歩く |
山頂手前の広場 | 山頂に到着、結構広くて、ここなら城があってもおかしくないなと思った。 築城年代は定かではないが河野氏の一族の和田氏によって築かれたと云われる。 天文23年(1554年)和田三河守通興が主家に叛いたことから、河野通宣から和田氏追討の命を受けた荏原城主平岡房実によって攻められ、岩伽羅城は落城し通興は自刃して果てた。 上記のとおり城の由来が書かれた看板と地図かあった。現在も最初の城主の和田氏の子孫が和田講を作って登山道や標識の整備を行っているようである。 |
こんな新しい標識もあった。 | 今は西方向の東温市の方にしか視界が開けていない。植林された木を伐採すれば360度の展望になる。 |
南西方向に下る。結構急勾配。 | 大きな広場があり、ここまで車を使って来れる。ここからだと容易に岩伽藍山、高森山724mに登れる。 |
これが車が通れる林道 | 途中、石鎚山方面に展望がきく場所があった。 |
分岐をやり過ごして更に少し下ると、廃車の置かれた場所がある。この奥にも廃道化した登山道があるらしい。 | 分岐まで戻る。左が車の通れる林道、右が登山道(たぶん鉄塔巡視路)。勿論登山道を行く。後ろから来たご夫婦がこの道を降りる我々を訝しげに覗いていた。 |
快適な登山道、曇ってきた。 | 左が高森山、右の少し低いのが岩伽藍山。 |
鉄塔広場に到着。三方に登山道らしきものがある。私が地図を読み真ん中の道が下山道と判断。正解だった。 | こんな木もあったけれど、 |
植林地帯を降りて行く。 | 登山口に戻って来た。この日はストックを2本使って登り下ったのだけど、後半、いつも痛みのある左の腕の調子が悪くなった。でも痛みがあっても何とかなるんだという気持にはなれた。 |