2001.7.31

(韓国映画は疑問符がつきまとう---「八月のクリスマス」「カル」「JSA」


 私は小泉首相を支持しない。頭が悪いのか確信犯かどうか判断しかねるが、「靖国神社公式参拝は首相として当然の行為であり、批判することが理解できない」と明言する彼の思想を私は認めることができない。こういったバックボーンのある首相のする改革は信用できない。
 「靖国神社公式参拝」問題は中国や韓国の人に指摘されて外交問題になっているが、この問題は、政教分離を定めた日本国憲法第20条に抵触する行為であり、むしろ国内問題である。我々はこの機会に改めて過去の歴史を勉強し、日本国民を戦争に駆り立てるうえにおいて果たした国家神道の役割を再認識すべきであると思う。そうすれば「靖国神社公式参拝」が「首相として当然の行為」だとは言えないはずである。意図のある確信犯であれば別であるが。
 私の勉強不足で理解に苦しむのは、何故戦後靖国神社という一宗教施設に戦没者が祭られる制度が残ったのかということである。外国のように無宗教施設で慰霊されるのが本当であろう。現制度においては、韓国人戦没者がその遺族の意思に反し合祀され、自衛官殉職者がその遺族の意思に関係なく合祀されることに対して異議が出るのは当然である。

 7月29日の愛媛新聞「へんろ道」にこんな投稿があるので、紹介したい。
 「一銭五厘の召集令状でかり出された無辜(むこ)の民草である兵士が主として戦い、醜(しこ)のみ盾として命を投げ出した。
 そして、英霊として祭られるので、彼らが九段の坂まで来てみれば、かつて自分たちを戦いに駆り立たせた将軍、大将らも祭られていた。死してなお上官らの魂魄(こんぱく)にさいなまされるのは親として耐え難いので、靖国の神さまなぞにならず、この片田舎の家族の墓で安んじて、と戦死したおじの法要のとき、高齢で目のみえなくなった母方の祖父は涙を流しながらこの三男の戦死をいたんでいた。
 親のなかにはこのように考えていた人も少なからずいたのではなかろうか。そのような兵士の魂は靖国の神社にあらずして、故郷の山河や家族とともにあるような気がする。」

 関連して一言、中国や韓国への政府の謝罪行為を国辱外交だという人たちがいるが、事実を認めて過ちを謝ることは人間として当然の行為である。彼らは子供の頃道徳教育を受けなかったのだろうか。
 それよりも、アメリカのいいなりの外交政策に終始する今の日本外交こそ独立国家として恥ずかしい。
「八月のクリスマス」

 韓国映画ではこの作品が一番好きという知人の薦めもあって見ました。韓国といえばソウルという電脳都市の風景が刷り込まれているが、この作品で描かれる風景は、20年くらい前にタイムスリップしたような雰囲気。携帯電話もインターネットも出てこない。(でも時代設定は現在です)道路の真中にプラタナスが植えられていて緑陰を楽しむことができるそんなのどかな風景である。とても親しみが湧く。
 カメラは淡々と登場人物の日常生活を追っていく。主人公の男性が不治の病におかされ死を宣告されていることを知らされる。少女との淡い最後の恋。家族や友人たちとの交流。そして死。どちらかと言えば暗いテーマなのだけれど、見終わった後暖かいものが残る作品であった。
 こういった人が天国に行くのだろうなと思った。しかしである。主人公が冒されていた病気は何だったのだろうという疑問から始まって疑問符が色々湧いてきた。私の一番悪い癖は、映画に感情移入してしまうことなのであるが、もし自分が主人公だったら、果たして彼のように死を穏やかに受容できるだろうかという疑問が一番の疑問である。
 一度、主人公も飲めない酒を飲んで心の動揺を見せるが、それもエピソードである。その後、彼は死後のことまであれこれ心配りして自分の遺影まで用意する。ある程度人生を生きると諦めもつくが、少女との恋も可能な年齢であの諦観はどこからくるのだろう。
 それと「八月のクリスマス」という題名、意味がわかりません。


「カル」


 主演は「八月のクリスマス」で共演したハン・ソッキュとシム・ウナの二人。今度の映画はうって変わって連続猟奇殺人を扱った映画。非常に気持ち悪い映画である。
 映画を見終わっても真犯人が分からない。これほどすっきりしないものはない。「カル」はビデオで見たのだけれど、最後に謎を列挙して、謎解きのためには、本を買えとある。商魂たくましいなと思う。
  1. 被害者の体の一部が見つかっていないのはなぜなのか?
  2. なぜ、死体に防腐剤を使う必要があったのか?
  3. 真犯人にとっては、ギヨンに捜査の目が向いているほうがいいはずなのに、なぜギ ヨン拘束中に動いたのか?
  4. なぜヨンフンの頭は冷凍庫に入っていたのか?
  5. オ刑事は、ポラロイド写真を見て何に気づいたのか?
  6. スヨンはチョに嘘をついていたのか?それとも、スンミンはスヨンに身を明かして いなかったのか?
  7. なぜスンミンは、バスルームに血を塗りたくるなど、自分に嫌疑のかかることをし たのだろうか?
  8. スンミンはなぜ着替えたのか?
  9. スヨンを殺すなら、人気のないところの方がやりやすかったはず・・・。なぜタワー レコードで?
  10. 少年は、何に驚いて転落したのか?
  11. オ刑事と同様、チョは、写真の何にそんなにびっくりしたのか?
  12. この縫合死体はだれだったのか?なぜ首がなかったのか?
  13. 縫合死体はスヨンが作ったものなのか?
 こんなところが未だに論議されている謎であるが、この殺人の動機には説得力がないと感じるのは私だけだろうか。精神障害者を主人公にした猟奇殺人の映画が数多くあるけれど、彼らの動機の方が理解しやすい。

「JSA」

 JSAを見て、ブロンソンとドロンの「さらば友よ」をちょっと思い出した。イ・スヒョクはちょっと役不足ではあったが。ギョンピル士官の冷静な判断と行動に何故スヒョクは応えられなかったのか。事実を知ったギョンピル士官の気持ちは、、、。  映画の最後にこの写真が大写しされる。この写真が映画のすべてを語っている。北朝鮮の軍服はまるで旧ソ連のそれとそっくり、韓国の軍服も米軍のものとそっくりと感じたのは私だけだろうか。

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